改めて次男の受験を振り返る
今日は珍しく、我が家の近くの焼肉屋さんに息子と出かけた。他にお客さんは、誰もいなかった。ふだん、めったにお酒は飲まない私だが、今宵は久しぶりにグレープフルーツサワーを薄めに作ってもらう。それでもグラス半分飲むのが精一杯で、そのくらいの量でも十分ほろ酔い気分になれる。
さて、今更ながらだが、今日は改めて次男の受験を振り返ってみようと思う。
彼は、お姉ちゃんやお兄ちゃんと同じ、地元の幼稚園に年中さんから入園し、卒園後は、同じく上のきょうだいと一緒に、地元の公立小学校に通い始める。そして、一年生の冬、マラソン大会の当日に、最愛の父を喪う。
習い事は、そろばん、ピアノ、スイミングくらい。身についたと言えるものは、初段まで取った暗算のみだ。彼は高校数学の問題でも、筆算のやり方の方がよくわからず、計算はすべて暗算でこなす。そこでミスをすることはめったにない。暗算で正確な計算ができると、かなりの速度で問題が解けるが、途中式を省略しすぎて減点されることもあった。
小学校時代は大好きな野球をやりたくて、地元の少年団にも入ったが、最終的には咳喘息になり、土手での練習がよくないと言われ、小5の春には退団した。
そして小6の7月に、突然中学受験をやってみたいと切り出す。上の二人は小学生までいわゆる塾には行っていない。しかし、彼だけは、自ら教科書より難しい算数を習いたいと言い、地元の個人塾に小6から通い始めていた。そのときの私は、実に気楽なもので、高校や大学受験と違い、たとえ志望校に落ちても、地元の公立中学には通えるのだから、普通は必死になって取り組むものとも考えてはいなかった。考えたことは唯一、中学から私立だと給食はないから、毎日お弁当だよなあ。目指す学校は少し遠いし、朝は早いだろう。日中会社で仕事をして、午後5時には上がれるものの、4人分の夕飯の支度と、3人分の朝のお弁当の支度を毎日きちんとこなせるか、不安がないと言えば嘘になる。というのも、私が作るお弁当は、決して大層なものではないが、最後まで通し続けたことがある。それは、冷凍食品を一切使わないことだ。おそらく、そういうものの味には幼い頃から慣れさせておくでもしないと、急にあとからでは難しいのだろう。高校生のときに娘が友達から配られた冷凍食品の唐揚げの味には驚いたそうだ。だが美味しそうに頬張る友達の前では、決して下手なことは言えない。
とまあ、とにかく、学校の教育事情よりも、たびたび不眠に悩まされていた自分自身の負担の方が気にかかっていた。しかし、末の子は幼い頃から、とにかく負けず嫌い。落ちたら、何より本人がどれだけ悔しがるだろうと思うと、もちろん合格するに越したことはなかった。そして、埼玉県内のとある中高一貫校の、普通のコースに進学する。
一番ありがたいと思ったのは、高校受験を省けること。もちろん本人の気が変われば反対はしなかったが、十分その学校に満足していたので、上のコースに上がれる選択肢さえ選ばなかった。
そして迎えた大学受験。なんと東大一本。理由は、退路を断つためだと。他に、心から行きたい大学はないと断言した。皮肉なもので、冠模試の判定がよくない方が、もっと焦って勉強したかなと思う。文系の場合、数学がかなり得意だと、それだけで総合の判定は良く出てしまうのだ。結果、現役では受からず、浪人を余儀なくされた。宅浪は私が反対したが、今思うとそれもありだったのかもしれない。河合塾本郷校には通学したが、質の低い授業は欠席したようだし、期待したほど敏腕講師の授業を受けられなかったり、周りがすごい生徒ばかりで良い刺激を受ける体験もほとんどなかった。その埋め合わせをするかのように、夏期講習や冬期講習は駿台の有名授業を受けたり、臨海セミナーやZ会の通信添削も並行しながら、最終的には自分で選んだ参考書や、一番の基本となる教科書を徹底的に読み込んだ。
受験の結果は以下の通り。
政経、法、商、社学→センター利用で合格
慶應義塾大学経済学部
出願はしたが、入試日の前に早稲田の政経に入学金を納め、本人も私立なら近い方の早稲田に行くと言うので、未受験に。
一橋大学経済学部
後期に出願し、センターの点数により、一次審査は通過。しかし、第一志望合格により、未受験に。
東大文ニ
現役時のようにまた合格最低点が一番高く出たらと心配もあったが、模試の推移を見る限り、特別文ニ志望者がレベルが高いとは言い切れない様子。むしろ、文ニを避け文一や文三に流れる傾向さえ見られた。浪人時の冠模試はすべて、志望科類内順位も5位以内。本人も、「これで落ちたら、きっと自分には合わない大学だったと諦めるよ。ニ浪は絶対にしないよ。もう心身がもたない。」
最後の最後まで、無事に発表されるまでは、無心でいた。アパート探しも事前にはやらない。
湯島天神でのお祓いだけは、やれて本当に良かったと思った。「気は心」。もちろん本人の努力なしでは成し遂げられないが、母からの想い、念のようなものは、見えない形で本人に伝わったはずだ。
今も一生懸命文献を読み、論文執筆に精を出している息子。
彼は言った。
「僕、もともと受験勉強は嫌いなんだよ。本当の実力は、一度限りの点数なんかでは測れない。点を上げるための勉強なんて、小手先のテクニックを使うようで、真の学問とは言えないよ。」
確かに、毎回、授業の感想などを楽しそうに話してくれ、用が済むとすぐに、「じゃ、また勉強してきます。」とさっと自分の部屋に戻って行く。
秋学期からは、家事も加わるけど、なんとかうまくやってくれることでしょう。
東大のオンライン定期試験終了
7月末に、次男の大学でのオンライン定期試験が終了した。
それについても書きたいことはあるが、最近ずっと、これまでで最も睡眠の状態が悪く、おかげで日中もかなり調子が悪い。それでも、普通の家事以外に、やるべきことが山ほどあって、それに押し潰されるように毎日が過ぎて行く。
現在息子は、まだ完全に夏休みには入れていない。というのも、お盆前に提出期限の論文があるからだ。と同時に、家庭教師のアルバイトが終了になったため、次の新しいアルバイトについて、研修も行なっている。新しいアルバイトに内定される前に、息子は数学の試験を受けた。その試験は満点だったため、もともとやろうとしていた業務以外も、打診が来た。それは、とある予備校の模試の採点基準を作ること。なかなか時給も高い業務だったようだが、さすがに定期試験期間中のためにやんわりとそちらは断った。息子も、「いくらテストが満点とはいえ、簡単な問題だったし、いきなりバイトの大学1年生に採点基準を作らせるなんて、びっくりだよ。作るのには時間もかかるし、さすがに恐れ多いよ。」と言っていた。
そして、秋学期から大学で一部対面授業も再開され、サークル活動も可能になるのに合わせて、入居するアパートも決定した。今月あたまには暑い中、長男の社宅への引っ越しを次男も一緒に手伝い、それが終わると次は、次男の引っ越し準備の諸々の作業に取りかかるというわけだ。
本当は他にも書きたいことがいろいろとあるが、もう夕飯の時間だ。また、次回に書くとしよう。
最後に、たまたまYouTubeで見つけた、「命に嫌われている。」という歌の替え歌があったので、良かったら聴いてみてください。同じ大学の新入生が作ったものだが、息子の場合は、この環境下でもなんとか充実しきった形で前半を終えられたようで、改めて第一志望大学に入れて本当に良かったなと感じた。ただ、この替え歌のように、本来なら受験から解放され一番楽しめるはずの時期を、予想だにしない形に余儀なくされた、大学生すべての悲哀を象徴するような歌詞に、じーんと来てしまった。
それが、以下の歌です。
東大1年生の次男の近況
先日、次男がこんな言葉をかけてくれた。
「春学期、こんなに勉強に集中して頑張れたのは、お母さんのおかげだよ。ご飯の用意とか洗濯とか、ありがとうね。」
本来は自らやる勉強の方が好きなはずの息子が、東大に入り、正直ここまで勉強に集中するとは予想していなかった。
今期の東大は、完全オンライン授業。本日から始まったオンライン定期試験だけで成績評価をつけないようにと、どうやら例年の1年生よりもさらに多い課題や小テスト、グループディスカッション、質疑応答コーナーが設けられたらしい。
また、例の三脚を用意して監視されながら受けるテストは、結局息子の場合は、2科目だけ。あとは、最終決定権のある教授が、監視は不要と判断したらしい。ただしその分、例えば不正を防ぐために、本来は90分で終わる問題をわざと時間を40分にして、一生懸命解いても終わらなくて普通、みたいな形式にする科目もあるという。
あるいは、替え玉受験を防ぐために、カメラで自分の顔と学生証の顔の確認を事前に行うとか。また、試験後には答案用紙をカメラに移し、それを先生がスクリーンショットをとり、そのあとに画像で答案送信するとか。
なんだか、どこまでも疑われているようで、学生が気の毒にさえなる。こんなことなら、推薦合格者のように最初から進学する学部が決まっている方が安心な気もするが、入学後に文転したりと、いろいろな方向転換ができるところが、大きな魅力のひとつではあるのだろう。
本人は一番勉強を頑張ったのは高校一年生のときだというが、私から見たら、この4か月は、あれほどハマっていたSNSさえ絶つ勢いで、本当にすべての科目をよく頑張っていたと感心する。かなり難しそうに思えるフランス語も、クラス内最高点や満点を小テストで出したりして、高校までの国語や英語以上に力を入れていたと思う。私までいくつか、単語を覚えてしまったくらいだ。
また、今はまだ漠然とした目標だが、将来、アクチュアリーという資格に興味があるという。東大の数学科の学生でも容易には取れない難解な資格なようだ。また、企業によっては入社後に資格試験のための勉強だけをやりお給料も出すところもあるとか。そして、その資格を取れると、例えば生命保険の保険料をいくらに設定すると良いのか、など分析ができたりするそうだ。かなりの高収入を見込める分、やはり仕事は激務。体力があまりなく、結婚後は早く帰宅して家族との時間を大事にしたいと考える彼には、ちょっときついかもしれない。ただ、相変わらず数学は大好きなので、何か数字を生かした資格は取りたいのだろう。先日、統計検定2級の問題を解いたら、8割方できたと。それくらい、東大の授業の進度は速い。
この大学は本当に、心から勉強が好きなひとが入らないと、耐えられないだろうなと思う。
さて、半期で14コマの科目を申請した息子。今日から今月末まではテスト対策や英語でのプレゼンテーションの準備に追われていく。そして8月から夏休みと思いきや、お盆前までの期限で論文の提出があるという。単なるレポートというよりは、駒場図書館等も利用して、しっかりと仕上げる論文のようだ。
それから、なかなか決定が遅れていた東大は、ようやく秋学期の指針を決めた。ついに、少人数でやる授業は対面に(無理な人はオンラインも可)、大人数(1000人を超す場合もある)の授業はオンラインに、課外活動は開始可能に、と、ようやく密を防ぎながらの環境で、キャンパス内に入れることとなった。無論、東京都の状況が今よりさらにひどい状態に変われば話は別だが。
ああ、やっとこれで、少しは普通の大学生活を送れ、リアルで友達と会うこともできるのだなと、親としては本当に喜ばしく思う。そして、本日やっと、新しく契約予定のアパートの審査も無事におりた。新学期に間に合うよう9月初旬には引っ越して、はじめの数日は一緒に泊まり、新生活の準備を手伝おうと思う。引っ越し当日の夜に、いきなり友達を呼んで、ひとりで鶏の唐揚げを揚げるなんてできるのは、長男くらいだと思うから。
そのあとは、いよいよ私も、人生初めてのひとり暮らし。留学時代は寮生活だったから、完全にひとりという感覚はない。
まずは我が家の、家中の断捨離からやらねばと思うが、途方もない量だ。果たしてひとりでやり切れるのだろうか。とにかく、来年の3月までは地元にいて、自治会の仕事をしたり、たまには子供たちに会いに出向いたり、さらに余裕があれば何か資格を取るか、短期や単発で仕事をするか。一番困るのは、パニック障害のひとは長時間のマスクが発作のひきがねになることだ。呼吸が圧迫される感じで気分が悪くなる。不織布マスクの素材はポリエステルで合わないし、蚊帳マスクも購入してみたが、やはり苦しさは変わらなかった。
今や、在宅でもない限り、ほとんどの職場でマスクが必須の状態だ。熱中症の危険もより高まると言われる中、皆さん本当にたいへんだと思う。
さて、次男の試験が終了したら、まずは長男の引っ越しの手伝いだ。先日珍しくこんなラインが来た。「お給料が出ました。今度、ご馳走します。」
そんなふうに社会人になった我が子に言ってもらえたのは初めてで、素直に嬉しかった。
さまざまに交錯したそれぞれの進路
あれから、そう、前回の記事を書いてからだ。実にいろいろな急展開が起こり、なかなか落ち着いてブログを書ける状態ではなかった。
まず、初日こそご機嫌で帰省したはずの長男は、3日目あたりから豹変を見せた。私が何か特別にひどいことをしたわけでもないのに、急にキレたように声を荒げて威嚇するのだ。
思えば自分は、幼少の頃から母親に、怒鳴るように叱られたり、鼻血が吹き出るほど顔面を何度も床に叩きつけられたり、真っ暗な蔵に閉じ込められたり、3日連続で夕飯を抜きにされたりと、今だったら立派に虐待としてニュースにされてもおかしくないような目に合ってきた。そのことについて知っているのは母と私だけ、今となっては母はまるで覚えていないから自分だけが、決して忘れることのできない記憶として、胸の奥に残っている。6人も家族がいても、誰も私の窮状に気がつく者はいなかったのだ。
そして、そのトラウマか、いや今ですら皆無ではないのだが、私は大声で怒鳴るひとが嫌いだ。落ち着いて冷静に言いたいことを伝えればいいのに、怒鳴ると、本当に相手に伝えたいことは実は伝わらない。それに気づくことができないのは、あまり賢くはないとさえ思ってしまう。もし相手がよほどひどいことをしてきたなら話は別だが、何か自分の中にイライラするものがあり、それゆえ何の非もないひとに八つ当たりをするとすれば、あまりに大人げないだろう。
おそらく、長男は職場で、相当なストレスを抱えているのだろう。私も20代の頃は職場でパワーハラスメントを受けたことがある。しかし、だからと言って両親に当たったことはない。
結局、私は睡眠薬を飲んでも4時間も眠れない日が続き、とうとう近くのビジネスホテルに逃げ込んだ。DV被害者がシェルターに逃げる気持ちが初めてわかったような気がした。さすがに息子は、私に手を上げるようなことは決してしない。根は本当に優しい子なのだ。しかし、言葉の暴力は、精神的DVにも繋がる。特に私の場合、怒鳴るひとが皆、母と同じに見えてしまうのだ。「ごめん、ごめん、お母さん。謝るから殴るのはやめて。痛いよ、痛いよ。」そんな言葉を最後に言ったのは、小学校高学年の頃だったか。
結果的に長男は、自分が実家にいると迷惑になると感じ、大学近くのアパートに戻って行った。そしてついに、8月からは会社から近いところの社宅に引っ越す決心をしてくれたのだ。そこまでの引っ越し代や手配も会社がすべて負担してくれ、家賃も6割の補助が出る。実は学生時代のアパートは社宅の対象にはならず、卒業してからこれまでの家賃は、これまで通り私の方で払っていたのだ。
「恩を仇で返す」とはこのことか。と、今回の一件では思わずにはいられなかった。
その後はお互いに謝り、一応は仲直りを電話でした。そして、社宅への引っ越しは当然、私も手伝う。暑いさなかでの引っ越しで、自分の体調も心配だが、仕方ないではないか。他に代わりがいないのだから。これがひとり親というものだ。
本人にとって、叔父や叔母、4人の祖父母たち、友人がいたとしても、引っ越し荷物の受け取りを頼めるのは、結局母親の私くらいしかいない。一時は全部自分でやる、などと息巻いたが、これまでの引っ越しもすべて自分だけで手配していないから、段取りもよくわからないのだ。荷物を出すひと、同じ日の確定はできない時間に受け取るひと、最低二人は必要になるのだ。
しかし、会社側もようやく安心しただろう。近場の交通費と家賃補助を合わせても、往復200キロ近いガソリン代よりは安いのだ。こういう無茶をする社員はこれまでいなかっただろうが、当の息子も一度も遅刻はすることなく、きちんと仕事はしていた。
タイトルでは、他に娘や次男についても書こうとしていたが、もうこんな時間だ。早く寝なければ。
というわけで、なんとか一件落着。
皆さま、おやすみなさい。
長男の帰省
つい先日、引っ越しを考えるか検討中という記事を書いた。
それからほどなくして、ひとり暮らしをしている社会人の長男から、連絡があった。
「平日は、そっちから会社に通ってもいい?」と。
「もちろんだよ。あなたのアパートから会社までは、片道約100キロ。どう考えても遠すぎるよね。」と返答した。
長男の会社は残業はまだないが、始業時間が午前8時と早い。入社して2か月は自宅でのオンライン研修のみだったが、6月からようやく通勤が始まった。どうも、毎朝アパートを朝の5時には出発していたらしい。
自宅からなら、午前6:20くらいで間に合う。それでもかなり早い。他の従業員さんは会社のある市内に社宅を借りて、車で10分ほどで通うようだ。本来ならそれが一番楽だが、長男はどうしてもその街には住みたくないという。先輩もおすすめはするが、社員に住む場所を強要はできない。
本人は父親に似たのか、車の運転は苦ではなく、片道40キロ程度なら楽だと言う。
というわけで、つい先日から帰省してきた。アパートからの引っ越しはいつになるか、まだわからない。とりあえず、連休がないと無理だろう。
そして、次男の方はまたしても、隣りの部屋の騒音に苦しむことになった。午後11時くらいから40分くらい、おそらくオンラインゲームでうるさいらしい。
次男の方はといえば、東大に入学してからというもの、実によく勉強している。
油断せず、しっかりと勉強しないと、希望する学部に行けないと思っているようだ。
なんとなく、中学入学時を思い出す。彼は、中学受験勉強をわずか5か月しか経験していない。入学したばかりの頃は、まだまだ勉強を頑張りたいという意欲が有り余っていたはずだ。初めての中間テストで、学年20番以内には入った。そして、次の期末テストの目標が、いきなり学年一位だった。実際に本当に一位を取るのは、中学3年になって一度だけだったが、それを機にスマホを買い与えたのだった。
そしてその後も、極端な中だるみは一切なく、上のクラスに移ることにも他校を受験することにも興味はなく、普通に同じ高校に進学した。ただやはり、東大クラスに分かれるのが、高校3年というのは、遅すぎると感じていたようだ。
まあ、何はともあれ、一年余分にかかったとは言うものの、晴れてこの春、東京大学に入学したのだ。全科目、手抜かりなくやりとげたいのだろう。いつの間にか、フランス語の発音は、英語より上手いくらいだ。
7月はかなりたいへんらしい。レポート、小テスト、課題、オンライン定期試験。持ち込み可のテストまで入念に準備するから、ほぼ確認程度にしか、テキストは必要なく終わったらしい。
私の方は、おかげさまで4〜5月頃よりは体調もずいぶん落ち着いた。夏休み中に次男の引っ越しが無事に終わったら、近場の塾でも良いから、何か英語を生かせる仕事を新たに見つけるか。いずれにせよ、当分、まあ少なくとも来年の3月に無事に自治会役員の引き継ぎが終わるまでは、地元を簡単に離れるわけにはいかないだろう。平日の朝食と夕食は、毎日長男のために用意してあげるつもりだし。本人はもちろん料理はできるのだが、多少でもイライラされながら台所に立たれるのはごめんだ。
優しくて、マメで、人当たりは良くて、しかし気は短くて、気分や態度がコロコロ変わる、そんな一見変わり者の長男を毎日相手にするには勇気がいる。こちらも、せっかく上向きになってきた体調が崩れないよう、十分に用心したいと思う。
東大のオンライン定期試験
東京大学は、今年の3月に、4月あたまから通常通り、授業を開始。春学期の間は完全オンラインで行うことを早々に決定した。
実際に履修登録をしようとすると、なんと不開講の科目も多数。教授の中には、入念な準備をして取りかかりたいから、秋学期に間に合うよう準備するという方もいらっしゃったようだ。
そして、もう少しで早くも定期試験の期間に入る。いまだ東京都のコロナ患者数も50人くらいはいるためか、定期試験の多くはオンラインで行う予定だ。このような形式は初めてとなるが、このご時世、ある程度は致し方ないだろう。
驚いたのは、試験を行う際の注意点だ。まず、東京大学の場合、ただ単位が取れればいいというわけではなく、成績次第で希望する学部に将来進めるかが決まる仕組みになっている。そこで、少しでも良い成績を取るために、いわゆる不正行為が行われる可能性もあるという。それをなんとしてでも阻止すべく、ここまで必要かと思うほどの対策が講じられているのだ。
まず必要になるのが、試験中にカンニングなどをしないように、学生の顔、手元、パソコン画面をスマホなどで撮影するための、三脚を購入しなければならない。2千円くらいから購入できるし、あとで何かに使えるでしょうとあるが、果たしてユーチューバーにでもならない限り、使うだろうか? または、後期の定期試験もオンラインになる可能性があり、そこでまた必要ということか。
加えて、少しでも不審な動きをした場合、不正とみなすこともあるという。それを過度に気にしていたら、本来の実力を発揮できない恐れもある。
万が一不正が見つかれば、全単位が剥奪になる。そんなリスクを犯してまで不正をする学生が、果たしてどのくらい存在するのだろうか。仮にも、あの難関な入学試験を乗り越えてきた学生たちである。
他に、ここまで不正対策をしている大学があるのだろうか。
教授の中には、あまりの形式に驚いて、レポート提出だけにした方もいるようだ。
それにしても今期は本当にたいへんだった。通常以上に、小テストや課題、レポートが増えたり、加えてオンライン試験。
せめて秋学期からは、もう少し充実した学生生活が送れたらなと願う。
引っ越しを考えるか検討中
次男の大学受験が終了し、カテゴリーも終了組に移した。最近は、なかなか書こうとする内容が思い浮かばない。
ただひとつ、迷っていることがある。
それは、今年の秋以降、自分の所在をどうするかだ。
今はまだ、東大の方も、秋学期の授業をどのような形態にするのか、はっきりとは決めていない。もしかすると、少人数で行える授業は対面にし、1クラス1000人を超え、普段なら立ち見も出るような授業はそれこそ密になるため、引き続きオンラインで行うという可能性もある。ただし、息子が思うには、どちらも混ぜるというシステムは、学生にとってかなり困難な点が出てくるという。まず、東大の授業は一コマが105分。休み時間はわずか10分だ。いくら近くに下宿しているひとでも、10分で帰宅はできないから、オンライン授業を学内で受けたくなる。ところが、駒場キャンパスにいる学生は、1〜2年生だけでも合わせて6千人。それだけの人数がzoomを使えるような部屋が確保できるのか。スペースの問題だけでなく、相当しっかりとしたWi-Fi環境が必要となる。それを今から間に合うように準備できるのか。あるいは、曜日により、対面とオンラインを分けたとしたら、履修カリキュラムを組むのがかなり難しくなる。本当なら、イギリスの大学が今年の秋から一年間完全オンラインを決めたように、密の環境がだめなら、完全オンラインの方がいいのだろう。だが、息子の予測ではおそらく、対面も可能になるだろうと。
そうなると、再び大学の近くにアパートを探すことになる。寮も空きがあるかもしれないが、息子の場合、自炊もきちんとしたいから、全部食事が用意されているのは嫌なようだ。
そして、次男も巣立つことになれば、いよいよ私は田舎でひとり暮らしとなる。今は自治会の役員をしているが、それ以外、地元に仕事があるわけでもないし、仲の良い友人は皆、首都圏に住んでいる。両親もなんとか二人で、ヘルパーさんも呼びながらきちんと生活をしている。要介護の状態ではない。また、近くにいながら、互いの交流は電話も含めて、かなり稀だ。たまにこちらが具合が悪くて助けを求めようものなら、「いったいいつになればきちんと身体を治して、ひとに迷惑をかけないようになれるのか?」などとお叱りを受けてしまう始末だ。
そこでかかりつけのお医者さんなどに相談すると、パニック障害のひとは絶対にひとり暮らしは避けてくださいと言われてしまう。では実家に? と問うと、お嬢さんが独身の間は、一緒に都内に住まわれる方が良いでしょうと。
確かに、私が都内に出て、もし再び仕事ができるくらい元気になれば、今なら在宅勤務も含め、いろいろと選択肢はあるかもしれない。なんらかの資格を取るために勉強するにも、都会の方が便利だ。
夫が亡くなったあとは、ずっと思っていた。環境が変わらないと、いつまでも夫が今にも帰って来るのではないかと、心のどこかで待ってしまう自分がいると。そしてそれが決して叶わぬ夢と自覚するたび、枕がびっしょりになるほど哭いた。
さすがに今はもう年数もかなり経ち、そのようなことはなくなったが、決して今の自分が生き生きと暮らしているとは言えない。
いざというときも、東京の方が良い病院は多いし、ただただコロナにだけは注意できれば、、、
本来はひとりきりの時間も大好きな自分だが、やはり体調が一年中万全になるまでは、無理は禁物かもしれないと思う。
早く、東京の新規感染者がゼロになることを祈りつつ。