終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

それぞれの分岐点

私には、かわいい3人の子どもがいる。

 

今月は、3人ともみな、それぞれにとってちょっとした分岐点なるものが存在する。

 

娘は、社会に出てすぐに、まだ新入社員のうちから、社内での競争社会にさらされている。学生までの競争と違い、社会に出てからは、運もあるし、タイミングもある。また、決して早く昇格した方が、その後の出世もずっと早いとは限らない。なぜ、上を目指すのか。上に上がれば、お給料も上がる。もちろん、それだけではなく、責任ある立場にもつき、下の者を育成して行かなければならない。自分のところに問題がなくても、他で問題が起きれば、助っ人に入ることもあるし、短期間で急遽異動になることもある。

 

以前、英会話を習ったカナダ人の先生が言っていた。日本人は、「live to work」仕事のために生きているよね。カナダ人は、「work to live」生きるのに必要なだけ働き、あとは自由に休養を取ったり、家族と過ごす時間を大事にしたり、好きなことをするよ。カナダでは、過労死なんて考えられないよ、と。

 

実際、知人の家族がカナダに永住しているが、ふだんの平日も早く帰れるのに、金曜日になると、もう午後早くから上がり、早くから週末モードに入るそうだ。ちょっと日本の会社では考えられない。

 

娘も昇格はしたいと思っているが、そうなればなったでさらに忙しくなるのだろうか。身体の方も少し心配になるが、今のところはずっと元気に働いているようだ。

 

長男は、今月は大学の大事な前期の定期試験がある。せっかくの内定を無にすることのないよう、しっかりと対策しなければならない。来年無事に卒業すれば、もう二度と成績のことで心配することもなくなるのだ。以前、中学卒業前の校内実力テストで理科で0点を取ったことがある。いくら内申には関係ないとはいえ、私が唖然としていると、彼は言った。「ああ、お母さん心配しないで。そのテストは、ただ寝ていただけだから。」その返しにもさらに唖然とした私。のちにカウンセラーのひとがこう言った。「たとえ、0点を取っても、そんな日もあるさと思える。それが彼の強さなんです。そういう子が社会に出ても戦えるの。」なるほど、そうなのか、、、

 

次男は、もう少しでようやく予備校の前期の授業が終わる。最後にまた、実力テストがある。そのテストの結果だけでなく、模試の成績も考慮するとはいうが、果たして後期から上のクラスに希望通り上がることができるのか。一番は、テスト自体がよくできればいいのだが、志望大学の入試とはあまりにもかけ離れていて、本当の実力を測るにはふさわしくない内容らしい。

 

私自身は、今月には誕生日を迎える。夫の享年よりも、10年も多く長生きしてしまった。少しはパパに近づき、しっかりしてきた面もあるだろうか。

 

これまで、最後の受験だと思い込んでいた次男の不合格から、つい先日まで、私はどこかで子どもの受験を自分自身の受験と履き違え、自分の力で合格させてあげなければと、とんでもない思い違いをしていたような気がする。

 

彼の目指す大学は、親が手取り足取りやらなければ受からないような子がもし合格できたとしても、その先の大学生活、ひいては就活から、社会人になってからも、自律してはやって行けないだろう。

そう、自立も大事だが、自律だ。

 

私がついつい老婆心から、さまざまな勉強法の情報を伝えようとしても、半分呆れた顔でよく言ったものだ。

「お母さん、いつからそんなに受験に詳しくなったの? 去年のように、もっと放っておいてくれていいんだよ。僕は自分の課題も、それに取り組む方法も、全部自分で考えられるから。これまでもずっとそうやってきたんだから。例えば、今の予備校の数学はどちらかというと京大向き。京大の問題だって散々見たんだから、知っているから。ちょっと問題の出し方は、東大と違うんだよ。例えば講師の示す解法が、決して一番美しいものではなくても、減点されなければ、それでいいんだと気づいたよ。採点には、美しさを求めてはいない。そんなふうに、いろいろと予備校に通うことで気づけたこともあるから、良かったよ。お母さんはもっと、受験以外で楽しいことでも探してみて。」

 

春頃は少しぶつかることも多かったが、ようやく最近、以前のようにいろいろな話のできる、相性の良い親子に戻れたような気がしている。