あの一筋の涙に恥じぬように
「今晩はもう、もちませんから。」
そう、義父が医師から告げられたようだ。
「嘘だ。嘘。そんなことない。パパは絶対に大丈夫。」
私は慌てて再び、夫のいる集中治療室に向かった。
そのとき、見たのだ。鎮静剤で眠らされている夫の左目の方から、一筋の涙がこぼれるのを。
泣いている。パパが泣いている。まさか、家族との別れを惜しみ流した涙じゃないよね?
私は思った。自分は絶対に、何としてでも、夫を看取る側に立ちたくないと。看取るくらいなら、むしろ先に逝く。そう思って、ふと、この病院の屋上はどこかと考える。そこから飛び降りようか。
いや、でも、万が一医師の言うことと反して、パパが助かったらどうするんだ?
これからまだまだ長い闘病が続くというのに、一番の介助者である妻がいなかったら。
そうだ。今は万が一の方に賭けるしかない。だいたい、親族からパパの一番の親友まで駆けつけているこの場から、どうやってこっそり屋上になど上がれるのか。行けるわけがない。
私は、最後なのだからと、夫の手を握りしめてあげる余裕すらなかった。
のちに、夫の親友が言っていた。「あのとき、夏子さん、あまりに冷静にしているから、危篤だってちゃんとわかっているのかなとすら思ったよ。全然取り乱さないからさ。」
私は、信じていたのだ。きっと助かると。最後の最後まで、信じていたかったのだ。
ついこの間まで、「監察医 朝顔」というドラマを観ていた。まだ録画しておいた最終回は観終わっていないが。
ドラマの中で、とても切なく流れる主題歌「朝顔」。
朝顔と言えば、花好きの夫が大好きだった花だ。亡くなってから何年経っても、庭のどこかで朝顔が咲いた。夫は苗を植えるのではなく、すべて種から蒔いて、野菜や花を育てていた。一度私が、庭の草取りをしたとき、誤って夫の育てている苗を引き抜いてしまったことがある。そのときの彼の、がっかりした顔ったらなかった。「雑草と花の区別もつかないなんて。もう夏子は庭の草取りはやらなくていいから。」
そんな夫が、亡くなるおよそ3か月前、義両親に草取りの手伝いを頼んだことがあった。私は、老いた義両親にお願いするのが恥ずかしくなり、そうするくらいなら、シルバーさんでも何でも頼めるから、とちょっとした喧嘩になった。確かそれが、最後の夫婦喧嘩だったと思う。
今思えば、いつものように自分でこなせないほど、身体に異変があったのではないか。
子供たちは、私たち夫婦が喧嘩しているのを一度も見た覚えがないと言う。実際にはそんなことはないのだが、確かに子供たちには仲の良い両親に見えたと思うし、私たちはそれほど、ぶつかることはなかった。
今日は気功治療の先生にこんなふうに言われた。
「とにかく、なるべくどんなときも焦らないようにしてください。焦ると発作が起こりやすくなりますから。やはり脳の血流が悪いので、それを良くする治療をしていきます。例えば、趣味に没頭して、治った患者さんもいましたよ。何でもいいから、自分が落ち着けることを探してみてください。」
落ち着けることかあ。
パパのように、何か花でも咲かせてみようかな。
あの唄を聴いて、改めて思った。
本当はパパだって、まだまだ家族と一緒にいたかっただろう。
子供たちの小学校の卒業式も、中学、高校、大学の入学式や卒業式も。そしていつの日か訪れるであろう、結婚式も。きっと得意の一眼レフカメラで、三脚を使い、記念写真を収めたに違いない。そういえば、明日はいよいよ、長男の内定式だよ。
私は思う。最後の晩に流したあの涙に、恥じないような生き方をしたいと。
今晩もたないと言われながらも、朝、近くのホテルで眠った息子たちが起きて病院に戻ってくるまで、ちゃんと待っていてくれたパパ。最後まで麻酔はとけず、言葉を交わすことはできなかったけれど、静かに静かに、眠るような優しい表情で、満面の笑みを浮かべて息を引き取ったパパ。
ねえ、今年はまだ朝顔が咲かないみたい。昨年は10月半ば頃に咲いたんだよね。
追伸
良かったら、今夜9/30の21:00からフジテレビで、「監察医 朝顔」の特別編をやります。全編をご覧になっていない方でも、ぜひぜひ、おすすめです!