終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

本番前最終模試

本日、浪人生の息子は、本番の入試前最終となる模試を受ける。

 

この一年を振り返ると、模試を受けた回数はひじょうに少なかったと思う。

 

これまでに、プレステージを一回、マーク模試を一回、記述模試を一回、東進東大模試を一回、河合オープンを夏秋二回、駿台実戦を夏秋二回、臨海セミナーのテストをチームを組み初参戦が一回。そして、昨年は受けなかったセンタープレを最終模試として受けるのだ。

 

他にはなかったかというと、予備校で受ける予定になっていた記述式やマーク式の模試は、体調不良ということで欠席。当日は予備校内でも、体調不良が続出したようだ。前期の間は、後期から上のクラスに上がれるかもしれないという期待を持ち、仕方なく意に沿わない模試も受けていた。それは、校内テストだけでなく、模試の成績もクラス分けの基準に入れると言われたからだ。しかし、実際にはあくまで校内テストが基本。模試の成績を考慮したとは、とても思えなかった。本人のプライドもかなり傷つけられたとは思うが、途中から気持ちを切り替え、こう言った。「社会に出れば、いくらでも理不尽な思いをすることはあるだろう。今、僕はその練習をしていると思えばいい。」

 

昨日もそうだったが、最近の息子は、とにかくよく語る。私はゆとり世代の始まりだったため、高校生のときに世界史を履修していない。そこで、世界史や地理のあらゆる分野について、解説をしてくれるのだ。

 

世界史を学ぶと、たいていイギリスが一番嫌いになると言われる。でも、決してイギリスだけが覇権を取ろうとしたわけではない。パクス ・ブリタニカと言われた時代にイギリスが台頭しなかっとしても、きっと代わりに他の国が同じことをした。人間、いつの時代も、考えることはそう変わらないんだよ、と。

 

彼の話を聞いていると、世界史や地理はこんなに面白い科目だったのかと、驚かされる。暗記科目はつまらないと思っていたのに、本当はもっともっと奥深い科目だったのだ。

 

また、センター数学の範囲に最近入れられたデータの分析については、このように言っていた。学校の授業や教科書の解説だけだと、ざっくりしすぎてどうも腑に落ちなかった。だけど、この前ようやくわかったよ。これは実はベクトルとも結びついている。もしかしてそうじゃないかと思い、調べてみたら、やはりそうだった。こうやって、自分で発見できると本当に嬉しい。予備校でも教えてはくれないからね。公式のように、〇〇だけ覚えておけばよいというやり方では、ひとつも面白くない。きちんと、自分の頭で考えて考えて、あれとこれがこう結びつくのかと仮説を立て、それが立証されれば、初めて腑に落ちる。そうなればもう、問題を解くときのミスはなくなると。

 

また、センター数学を解くときは、自分の頭で考えようとするとかえって時間がかかるから、まるで先生の解説を受け身になって聞いているように、上手に誘導に乗って解く方が速く解ける。いろいろなやり方を試したけど、思考力を問うというよりも処理速度を測っているから、何も考えない方が速いそうだ。

 

本番では850/900点は狙いたいと考えているところ。

 

2浪までは考えていないので、来月のセンター試験が最後になる。

 

長年抱えてきた母の、喪失の悲しみに一番寄り添ってきてくれた次男。

 

浪人生になるという番狂わせは辛かったけれど、この一年はやはり、次男がそばにいてくれて良かった。ある意味、私にとっては宝物のような時間になった。

 

来年はどんな一年になっているのだろう。

 

毎年毎年、予想外のことが起き続けて来たような気もするが、それが人生というものなのかもしれない。

 

私の名前は、どんな世の中も渡って行くというような意味が込められている、ちょっと珍しい名前だ。まず、同じ名前のひとにはお目にかかったことがない。

 

その名の通り、こうやって波乱万丈の人生を、一歩一歩と渡っていくのかもしれない。