旧家に生まれて
思えば旧家というのは、何代くらい続いてきた家を指すのだろうか。
具体的にはわからないが、少なくとも桜子の家は、地元ではわりと知られた旧家のひとつであることは間違いなかった。
桜子の家では代々商いを営んでいた。古くは、余裕のない家にお金を貸すという、今でいう銀行の融資のような生業もしていたらしい。桜子の家ばかりではなく、当時、つまり江戸の安政の頃は、そこそこ商売で上手くいっていたものが、いくらかの利息を取ってお金を貸すということは、ごく普通に行われていた。桜子の家には、その当時の借用書のような古い文書も残されている。
桜子の家には、他県からも、商家の跡取り息子らが修行を積むために、若いうちから住み込みで働いていた。桜子は幼い頃から、たくさんの男の人たちが汗水たらしながら、夏の暑い中でもみんなで一緒に働く姿を当たり前のように眺めていた。その汗は、子供心に眩しく感じたものだ。
四、五歳くらいになると、時には家のお手伝いをすることもあった。古くて大きな倉庫のニ階から、たくさんのスリッパを下に降ろす。それだけの仕事でも、大はしゃぎだった。
桜子はまったく人見知りをすることもなく、たくさんの大人に可愛がられて育った。ただひとつだけ嫌だったことがある。それは、六歳になるまでずっと一人っ子であったこと。周りのみんなには兄弟がいるのに、どうして自分にはいないのだろうと思っていた。かといって、特別さみしい思いをしたわけではない。それよりも、父が何度も繰り返し言う台詞が嫌だった。
「桜子は一人っ子みたいに育ったから、わがままになってしまった。」
そのたびに桜子は思った。
「私だって好きで一人っ子をやっているわけではないのに、なんで私が悪いみたいに言われなくちゃならないのだろう。」子供ながらに、父の言い方には、理不尽さを覚えていたのだろう。
そしてようやく、桜子が六歳を過ぎた秋のこと。妹が産まれた。そのときはさすがに嬉しかった。そして、妹ができたことで、母の虐待が一層ひどくなるなど、そのときは予想だにしなかった。
桜子は、近所の同級生と遊ぶことも多かったが、ひとりでおとなしく遊ぶ時間も多かった。ひとり遊びの中で、もっとも熱中したのが、読書。とりわけ、岩波こどもの本シリーズが大のお気に入りだった。何冊もの本を、繰り返し繰り返し読んだ。そらで完璧にお話を言えるくらいに熱中した。
そして小学校に上がるまでには、二人の叔母もよそに嫁ぎ、曽祖母も亡くなって、祖父母、両親、妹と自分の、六人家族になった。
小学一年の頃には、家業も自宅でこなすには手狭になり、市内に新しくできた企業団地の一画を購入し、商店から株式会社へと商売は発展して行った。
(ふと、自伝めいた手記を小説風に記してみたくなりました。続きを綴るかどうかは、気分次第ということで。)