終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

さまざまに交錯したそれぞれの進路

あれから、そう、前回の記事を書いてからだ。実にいろいろな急展開が起こり、なかなか落ち着いてブログを書ける状態ではなかった。

 

まず、初日こそご機嫌で帰省したはずの長男は、3日目あたりから豹変を見せた。私が何か特別にひどいことをしたわけでもないのに、急にキレたように声を荒げて威嚇するのだ。

 

思えば自分は、幼少の頃から母親に、怒鳴るように叱られたり、鼻血が吹き出るほど顔面を何度も床に叩きつけられたり、真っ暗な蔵に閉じ込められたり、3日連続で夕飯を抜きにされたりと、今だったら立派に虐待としてニュースにされてもおかしくないような目に合ってきた。そのことについて知っているのは母と私だけ、今となっては母はまるで覚えていないから自分だけが、決して忘れることのできない記憶として、胸の奥に残っている。6人も家族がいても、誰も私の窮状に気がつく者はいなかったのだ。

 

そして、そのトラウマか、いや今ですら皆無ではないのだが、私は大声で怒鳴るひとが嫌いだ。落ち着いて冷静に言いたいことを伝えればいいのに、怒鳴ると、本当に相手に伝えたいことは実は伝わらない。それに気づくことができないのは、あまり賢くはないとさえ思ってしまう。もし相手がよほどひどいことをしてきたなら話は別だが、何か自分の中にイライラするものがあり、それゆえ何の非もないひとに八つ当たりをするとすれば、あまりに大人げないだろう。

 

おそらく、長男は職場で、相当なストレスを抱えているのだろう。私も20代の頃は職場でパワーハラスメントを受けたことがある。しかし、だからと言って両親に当たったことはない。

 

結局、私は睡眠薬を飲んでも4時間も眠れない日が続き、とうとう近くのビジネスホテルに逃げ込んだ。DV被害者がシェルターに逃げる気持ちが初めてわかったような気がした。さすがに息子は、私に手を上げるようなことは決してしない。根は本当に優しい子なのだ。しかし、言葉の暴力は、精神的DVにも繋がる。特に私の場合、怒鳴るひとが皆、母と同じに見えてしまうのだ。「ごめん、ごめん、お母さん。謝るから殴るのはやめて。痛いよ、痛いよ。」そんな言葉を最後に言ったのは、小学校高学年の頃だったか。

 

結果的に長男は、自分が実家にいると迷惑になると感じ、大学近くのアパートに戻って行った。そしてついに、8月からは会社から近いところの社宅に引っ越す決心をしてくれたのだ。そこまでの引っ越し代や手配も会社がすべて負担してくれ、家賃も6割の補助が出る。実は学生時代のアパートは社宅の対象にはならず、卒業してからこれまでの家賃は、これまで通り私の方で払っていたのだ。

 

「恩を仇で返す」とはこのことか。と、今回の一件では思わずにはいられなかった。

 

その後はお互いに謝り、一応は仲直りを電話でした。そして、社宅への引っ越しは当然、私も手伝う。暑いさなかでの引っ越しで、自分の体調も心配だが、仕方ないではないか。他に代わりがいないのだから。これがひとり親というものだ。

本人にとって、叔父や叔母、4人の祖父母たち、友人がいたとしても、引っ越し荷物の受け取りを頼めるのは、結局母親の私くらいしかいない。一時は全部自分でやる、などと息巻いたが、これまでの引っ越しもすべて自分だけで手配していないから、段取りもよくわからないのだ。荷物を出すひと、同じ日の確定はできない時間に受け取るひと、最低二人は必要になるのだ。

 

しかし、会社側もようやく安心しただろう。近場の交通費と家賃補助を合わせても、往復200キロ近いガソリン代よりは安いのだ。こういう無茶をする社員はこれまでいなかっただろうが、当の息子も一度も遅刻はすることなく、きちんと仕事はしていた。

 

タイトルでは、他に娘や次男についても書こうとしていたが、もうこんな時間だ。早く寝なければ。

 

というわけで、なんとか一件落着。

 

皆さま、おやすみなさい。