終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

短編小説 その一

貴美子は今、地元に新しくできた「コメダ珈琲店」に立ち寄り、遅いランチとお茶をしている。

時間はすでに午後ニ時を回ったところだ。子供たちがいた頃、こんなに遅い時間に昼食を摂ったことなどあっただろうか。

つくづく最近気がつき始めた。今まで全部、人のためだからこそがんばれたんだなと。自分ひとりのために、野菜たっぷりでポトフを煮込んでも、最後まではとてもじゃないが食べ切れない。以前なら、何を作ろうがほぼ翌日には捌けていた。そう、残念なくらいに余ることはなかった。

しかし、もはやスーパーへの買い出しすら億劫だ。これではよほど、ひとり暮らしを始めたばかりの息子の方がまめに作っているかもしれない。

息子はゆうべ鮭を焼いたと言っていた。この前訪ねたときに、きちんと魚焼きグリルの洗い方を教えてきたから後始末も大丈夫だろう。

最近は実に、貴美子の食欲は減退している。ステイホームで体重もさらに増えていたから、少しずつ減少するには都合がいい。ただ、栄養はきちんと取らなければいけない。

今日は以前にも相談をしたことがある、親子関係に詳しい方の電話カウンセリングを受けてみた。

すると意外なことを言われる。なんと、結婚を控える娘本人ではなく、母親の私の方がマリッジブルーにかかっていると。改めて調べてみると、たとえ普通にご夫婦揃っている家庭でも、娘を嫁に出す側の母親が、一番喜ばしいはずの娘の結婚が近づくにつれ、マリッジブルーになっていくケースは決して珍しくはないそうだ。

意外なこともあるものだ。とりわけ、真面目に一生懸命家族に尽くしてきた母親ほど、このようなことはあるという。

と、なんとなくお店で小説を読んでいた続きで、自分でも何か小説風に書けないかと思ったが、これではせいぜいエッセイを書いていると言える程度の拙い文章にすぎないように思える。いや、決してエッセイストを批判しているのではない。私の文章が、と言っているだけだ。

まだ、すべて食べ終えてはいないが、そろそろ店を出よう。明日は数年ぶりに高校時代の同級生かつママ友仲間で、一緒にランチをすることになっている。ひとと食事をするのは久しぶりだ。そこに来ていく洋服をクリーニングに出していたので、帰りに寄ることにしよう。

朝はわりと早く目が覚めるので、すでに睡魔に襲われている。しかし、これ以上珈琲を追加すると、肝心の夜に熟睡ができない。

と、結局はとりとめのない文章をつらつらと綴るだけで、話になんのオチもつけられそうにはない。プラスチックシートの隣りには、私が入店してからはや三組目の客がいる。以前より貴美子も、周囲の雑音が気にならなくなった。もともとは、周囲に関係なく自分の世界を作れる方なのだ。

さて、今日の夕飯は、朝炊いた栗ごはんに、何か一品足せば十分だ。

それにしても、ここのお店の珈琲のお供が何ゆえに豆菓子なのか、謎に包まれたままだ。

どこの喫茶店に入ろうと、亡き夫が淹れてくれたほどの美味しい珈琲に出会えるはずもない。しかし、三食すべて自分の家でテレビを観ながらひとりでごはんを頬張る気にもなれずに、今日はあえて外出をしてみた。忙しかった日々は、まだ鮮明に貴美子の脳裏に浮かんでくる。

このまま少しお昼寝をしよう。秋も暮れかけ、冬の小さな足音とともに、十三度目を迎える夫の命日が近づいていた。