終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

短編小説 その三

短編小説と銘を打ってみたはいいが、やはりなかなかきちんと主軸を定めて書くことは難しい。ここはあくまで、各人が自由に思いのままを日記のように綴る場なので、このシリーズで書くのは今回を最後にしよう。

貴美子は今、朝から車で5分くらいのファミリーレストランに朝食を摂りに来ている。三連休の初日とあってか、ふだんから空いているこの店は、いつも以上にひとが少ない。パニック障害を発症してからというもの、すっかり音が苦手になった貴美子には、うってつけのお店だ。以前の貴美子なら、他人のおしゃべりも案外耳を傾けると面白いと感じるくらいに、騒音の中でも余裕で過ごせていた。パニック障害になると、音、光、熱に弱くなると言われるが、まさにその通りだ。

ここのファミリーレストランには、古い思い出がある。真ん中の息子、明生がまだ中学生だった頃。地元では北彩テストという名前の模擬試験を受けるのが、高校受験のためには必須だった。主要5科目、あるいは英国数の3科目の偏差値の結果次第で、併願または専願する私立高校の事実上の合格を事前に確約するという、ある地域独自の摩訶不思議なシステムが数十年も前から形成されていた。貴美子が明生に教えられる科目は、唯一英語だけだった。明生には中学一年でピアノをやめてから、ずっと塾には通わせてはいた。しかし、なかなか成績は伸びない。せめて英語だけでも伸ばそうと、受験生になってからは貴美子も積極的に北彩テスト対策を始めた。家でははかどらないというときは、このファミリーレストランに一緒に行き、食欲旺盛な明生の好きなものをオーダーさせながら、英語の過去問を必死に解かせたものだ。その甲斐あってか、いつも50台だった模試の偏差値が、ようやく60を超えた。これは、常に偏差値70くらいをキープしていた尚子とはまた違う意味で、奇跡に近い結果だった。これでようやく併願候補の私立高校の確約が取れる。明生も、自分はなんとか高校生にはなれるんだと確信できた安堵からか、「お母さん、英語を教えてくれてありがとうね。」とほろりと嬉し涙をこぼしたものだ。

そのときは、まさかそれがどんな高校生活に繋がろうかという結末は、まだそのときには知るよしもない。

そして、あれほど心配させられた高校当時には、大学を卒業して一部上場企業でワークライフバランスを取りながらしっかりと働いているという未来も、想像もしようがなかった。

貴美子は、今日これから予定していた旧友との再会がある。豪華なホテルの部屋の中でアフタヌーンティーを楽しむという企画だ。友人はふだんほとんどリモートで働いているし、私もめったに外出はしていない。お互いに主に部屋の中で過ごすことを思えば、基本的な感染症対策をしっかりとすれば、大丈夫なはずだと思うしかない。今後の感染拡大については心配であるが、10万人あたりの患者数は、それでもまだ白血病患者の方が多いのだ。

貴美子にとって、ひとりで暮らす今月の命日反応はいつにもまして、辛い日々だった。もしかしたら、はっきりとは覚えていないが、一度は刃物のようなものに手をかける夢すら見たような気がする。こんなことはさすがに初めてだ。

末っ子の晴生が長期で帰省するまであと2か月。もしかしたら、貴美子は尚子のところに居候するかもしれない。もともとは二人で住めるように借りた場所だ。尚子が婚約者と正式に同居を始める前の最後の期間。たとえ一緒に過ごす時間は短くても、ひとの気配を感じて暮らすことは、やはりパニック障害患者にとっては重要かもしれない。

こんなふうに自由に自分の所在を決められるわずかなひとときにこそ、心の故郷でもある英国に滞在してみたかった。が、今となってはそれも遠い夢となってしまった。

窓の外に目をやると、木枯らしが舞っている。

13年前のこの月は、季節を感じる余裕すらなかった。それでもこの11月は、夫が確かに生きていた最後のひと月でもあったのだ。