終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

もう少しでひとり親卒業

まもなく、三人きょうだいの末っ子である次男が二十歳の誕生日を迎える。

公的な意味でのひとり親とは、未成年の子をひとりで養育する父親、または母親のことを指す。

その意味で私は、末の子が二十歳になると、晴れてひとり親を無事に卒業したことになるのだ。

いやあ、なんて感慨深いのだろうか。ちょうど20年前、出産予定日を過ぎて今か今かと産まれる日を待ちわびていた。長男があるとき、お腹をなでながら言った。「赤ちゃん、まだ出てこないの?」 そして出産当日。朝から陣痛が始まり、早めに病院の個室に夫と共に通されるも、経産婦だというのに実際に産まれるまでは延々と時間がかかった。夫はお昼ご飯も抜きのまま、ずっと長い時間私の腰をさすり続けてくれた。何度、近くのコンビニに食べ物を買いに行ってと言っても、「こんなに痛がっているのに、ほっとけるわけないだろう。」と言って。

そしてついに産まれたのが、午後7時頃だった。

3900gを超え、身長が55cmもある赤ちゃんは、男の子だった。

そして、その子がまだ小学1年生のときに父親が亡くなる。心拍数がゼロになった瞬間、私は悲しみより先に武者震いを覚えた。いよいよこの瞬間から、この三人の子供たちの親は私ひとりになる。やるしかないんだ。そう、強い気持ちが芽生えた。

それまでは妻というより、もうひとりの大きな子供状態で、完全に夫に甘えきっていた。熱が37.3℃もあればすぐに会社にいる夫に電話で事情を伝える。聞いた夫はすぐに、「わかった。スーパーに寄ってすぐに帰るから何もしないで寝ていなさい。」そして、子供達用の美味しい夕飯と、私用にはこれまた美味しい煮込みうどんを用意してくれたりした。インフルエンザのときは、わざわざ会社を休んで看病してくれた。

私は、何も怖くはなかった。風邪をひこうが、捻挫しようが、いつでも安心して夫に寄りかかることができた。

このようにひじょうに心が安定している状態のときは、ひとはひじょうに元気だ。今の私とはまるで違う。

この13年、自分はどんなひとり親をして来たんだろう。こんなにまだ幼い子供達をいったいどうやって育てたらいいんだろうと途方に暮れたとき。何もかもから逃げ出したくてあくる朝には自分がいなくなっていたらと願った夜。実家の両親と同居すべきか悩んだとき。どこでもいいから夫の思い出の詰まった我が家から引っ越したいと思ったとき。ダブルワークで身体を疲れさせて熟睡したいと考えたらめまいが悪化し入院までしたとき。翻訳を仕事にできたらと学校に週一だけ通ったら仲良くなった友人皆が上級クラスに上がれた中、ひとりだけ中の上クラスにしか上がれずに挫折したとき。突然江戸時代から続いてきた商売を閉じることになりその後何をしようかと戸惑ったとき。派遣会社に登録するもなかなか思うように長期の仕事は得られずにさまざまな仕事を短期でこなした日々。派遣でなくバイトとして採用された初めての飲食店での業務中、他社のミスで左手首関節の最も重度な粉砕骨折を起こし完治まで15か月もの歳月を費やした地獄の日々。子供たちそれぞれにさまざまな問題に出くわして一緒に悩んだ日々。ようやく整形外科への通院が終了したのに次はパニック障害を発症しいまだに完治はしていない日々。

終わりがようやく近づくからこそ言えることだが、これらの日々のすべてが、かけがえのないものだった。

本当に、途中で投げ出さなくて良かったと思う。責任感の強い私は、周りのひとからはきっと大丈夫だろうと見えていたに違いない。だが、緊張の糸がプツッと切れたら、そういうひとに限って何をするかはわからないと思う。あまり考えずにもっと気楽に生きられるひとの方が、もともと張っていない緊張の糸も切れようがないだろう。

両親からの、「ちゃんと子供たちを育てなさい。」という無言のプレッシャー。それは私には、ひとつも声援には聞こえなかった。

たいへんそうなひとには、ただ一言。「よくがんばってるよね。何もできなくてごめんね。落ち着いたら、一緒にごはんでも行こう。」こんな言葉かけで十分なのだ。批判的な発言だけは避けてほしい。批判的な言葉を言えるのは、あくまで同じ身の上で、同じような人数と年齢の子供達をたったひとりで育てた経験のあるひとだけに限らせてほしくなる。

わかるはずがないのだ。経済的には困っていなくても、どれほど眠れない夜をこらえてきたかなんて。

先日、物欲がまったくない私には珍しく、ひとり親卒業祝いにと、ポール・スミスの小さなお財布を購入した。娘の付き添いで買い物に出ると、たまにこんなことがある。ポール・スミスさんが落書きとして書いたというかわいいうさぎ。そのうさぎと目が合ったような感じがして、「僕を大切に使って!」と呼びかけてくるようだ。色もなかなか日本では見ない、なんともいえないターコイズブルー。ラスト一点だった。

少し誇張して言うなら、留学時代の貧乏旅行で見た、美しいエーゲ海の海の色。あれをちょっとパステル調にしたような目を引く色だ。

ギリシャの宿は、一泊300円という、ヨーロッパの中でも一番安いようなお宿だった。

ひとり親を卒業したあとは、どんな人生が待っているのだろうか。

Nobody knows.