終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

2020年を振り返る

今年一年を改めて振り返ってみよう。

1月 センター試験最後の年。 次男にとって2度目の試験。2日目すべての試験が終了すると、次男の体調が悪化。幸い救急車を呼ぶには至らず。緊張がマックスで体調にまで影響が出る中、リスニングを除き838点を獲得。いくら圧縮されるとは言え、最終的にセンターの一問が合否を分けることすらある厳しい世界。共通一次を受けたこともない自分にはよくわからないが、直前の集中的な対策でよく取れたと思う。

2月 現役時同様、東大の一次選考通過。マークミスもなし。早稲田の政経に入学金を納め、慶應経済は受けないことに決める。いよいよ、泣いても笑っても最後の東大二次試験。試験2日目、母親はパニック発作により救急車に乗るも、受験者本人は体調不良も起こさずに無事終了。一橋後期の一次選考通過。

3月 一橋後期の対策をする。東大の掲示板での合格発表は中止になるも、自宅のパソコンで合格がわかり、親子で抱き合って歓喜の涙。現役合格以上の喜びに包まれる。苦しい苦しい一年が終わりを告げる。

そして心配に心配を重ねた長男の大学生活。晴れて留年なしで卒業が確定。卒業式は中止。

長女は3か月半ぶりに仕事をスタート。初めての転職。会社近くで再びひとり暮らしに。

4月 長男がシステム系エンジニアとして社会人スタートを切る。入社式は中止。在宅にて研修開始。

東大の入学式も中止。新入生にとって楽しみのはずのオリ合宿も中止。完全オンラインでの春学期の授業がスタート。自宅にて受ける。一日三食時間指定での食事の用意に母親は奮闘。

入試の成績も開示される。 結果は約383点。おそらく上位での合格。本人も満足。

2年近く不登校を続けた甥が県内の私立中学に合格し入学。はじめはオンライン授業。楽しくスタートを切る。

5月 長男は引き続き自宅研修。

6月 長男がようやく会社勤務をスタート。往復約150kmを車通勤し、小さい頃に交通事故で開放骨折をした足首が痛むようになる。月末に自宅から通いたいと言う。

7月 長男のマイペースぶりに母親と次男ともに疲労困憊。結局、いったんは長男も元のアパートに戻る。

次男は初めての定期試験を完全オンラインで受ける。優秀な成績を収めるも、一瞬迷った工学部はやめてこのまま経済学部に進学を考える。

8月 長男がついに会社近くの社宅に引っ越しを決める。引っ越し代金もすべて会社が負担してくれ、ありがたい限り。次男と私で引っ越しの手伝いをする。

9月 秋学期から一部対面授業とサークル活動開始に伴い、大学近くのアパートに次男が引っ越し。積極的に自炊などの家事を始める。

10月 母親は人生初のひとり暮らしをスタート。

11月 例年以上の強い命日反応に襲われる。とにかくよく泣く。

長女が交際相手とついに婚約。彼のご両親とオンライン通話。お優しそうなご両親でひと安心。

12月 長女が宅建に一回で合格。仕事と勉強を両立しての快挙。

13回目の夫の命日。大勢でお墓参りをする。会食は省略。

そしてとうとう、三人きょうだいの末っ子である次男が二十歳の誕生日を迎える。母親はついに、定義上はひとり親を卒業!

以上、時系列に振り返ってみた。

今年一年で達成できなかったことは、パニック障害の完治と、仕事の再開だ。来年こそは、体調を改善し、何らかの資格取得のための勉強、または何らかの形での新たな仕事のスタートを切りたいと思う。

今年一年は、遺族年金、不動産収入、株式の売却で乗り切った形だ。

私自身は特に何の進歩もなかった感じだが、子供たちにはそれぞれ大きな収穫があった年であった。

長女は転職に成功し、国家資格も取得、婚約もした。

長男はようやく学生生活を終了し、残業もほぼない会社でひとり暮らしをしながら勤務。

次男は第一志望の大学に入学し、初めてのひとり暮らしを満喫中。負担にならない程度にアルバイトも経験。

来年こそはマスクのいらない社会に変わることを祈りつつ、筆を置こう。