終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

さまざまな料理に挑戦した次男

長男については、以前のブログでも書いた記憶がある。彼はすでに、小学生の頃から父親が台所に立つ背中を見て育ち、口頭で教わらずとも目で見て自然と料理の技を覚えたようだ。また、舌も肥えていて、同じ人が作ったものでも微妙な差に気づくことができる。たとえば実家で私の母がよく作るほうれん草の胡麻和え。いつもは炒ったごまをすり鉢でするが、あるときたまたま、行きつけのお米屋さんで擦りたてと書いたごまを購入してきたことがあった。それを使いごま和えにすると、長男が言った。

「おばあちゃん、なんかこれ、いつもと味が違うよ。少し脂っこい気がする。いつもの方が美味しいよ。」

これには母も驚いた。

「○○くん、よくわかったねえ。舌が鋭いんだわ。」

そのとき長男はまだ、小学校高学年だった。

 

お兄ちゃんほど早くはなかったが、次男も昨秋からひとり暮らしを始めて、さまざまな料理に挑戦したようだ。

 

フライパンで揚げる、とんかつ、鶏の唐揚げ。また、豚バラ肉と大根の煮物。

 

あれ、大根の皮の剥き方、教えたっけ? 皮むき器がないから、包丁で剥く必要があったでしょ?

 

と私が聞くと、レシピでは皮ごと大根を使うやり方だったらしく、絶品だったらしい。

 

今宵は久しぶりにトマト鍋にした。新婚時代から使い続けた土鍋はあちこち欠けていたのですでに処分した。買い物嫌いの私のこと、まだ新しい土鍋は用意していない。仕方ないから、今日は代わりに蒸し器用の大きい鍋を使う。ほうれん草、えのき茸、トマト、大根、鶏もも肉、真だら。本当はキャベツも足す予定だったが、二人なので、明日に回すことにした。だしは市販のものを使ったが、久しぶりに一緒に囲んだ鍋は熱々で実に美味しかった。

 

次男が蒸し器の鍋を見て言った。

「この鍋、お父さんがよくみんなの分のラーメンをまとめて作っていたよね。」

 

そう、まさにその通りだ。ほとんど父親の記憶がないというなか、よく覚えているではないか。

 

知人の息子さんでひとり暮らしをされている方の話を聞くと、改めて、やっぱり男子の皆が皆きちんと自炊するわけではないんだなとつくづく思う。比較的近い場合は、週末に帰省したときに、母親が作り置きしておいたものを何パックも持ち帰るとか。また、遠方の場合は母親が作ったものを冷凍にして送るとか。そんな状態では、とても自立しているとは言えないと思う。

 

ただ、私の父がお湯も沸かせないように、やはり育った環境の影響は大きいのだと思う。たとえ短い年月だったとはいえ、我が家でお父さんが台所に当たり前のように立ち、和食から洋食、麺料理からスイーツに至るまで、ひとり暮らしの経験もないなか、一生懸命子供や妻の笑顔がただただ見たい一心で作り続けてくれた日々。その姿や、実際に食した親父の味は、子供たちの一生の心の宝物として存在し続けることだろう。

 

もし家の中で、母親の私だけが料理をしていたら、今頃二人の息子たちがこんなに料理をしていただろうか。

 

自分で買い出しもすると、食材の価格、どのくらい日持ちするか、自炊したときとお惣菜ではどれくらい金額が変わるか、などなど、私も驚くほど知識が増えたようだ。

 

今の時代は共働きも増えた。夫婦共に自立して、いろいろな家事もできれば、理想的だろう。

 

今宵は改めて、立派な父親像を見せてくれた夫に感謝して、床につくとしよう。