終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

約1年間のひとり暮らしを振り返る

あれは、昨年の9月のことだ。

 

次男がこれから初めてのひとり暮らしを始めようとするアパートの部屋で、息子が泣きながら私にこんな話をした。

 

「正直言って、パパが亡くなってからのこの13年近く、僕は幸せじゃなかった。お姉ちゃんとお兄ちゃんが何か問題を起こすたびにお母さんが具合悪くなって。この上、僕まで何か問題を起こしたら、お母さんが本当に死んじゃうんじゃないかと思うと怖くて怖くて。だから、せめて僕だけでもいい子でいなきゃ、って必死だった。なのにお母さんはときどき、僕のことまであの二人と同列に見ようとする。すごくショックだよ。はっきり言って、パパがいなくなったあと、一番お母さんのことを心配して、寄り添って、愚痴でも何でも聞いてきたのは僕だよ。お姉ちゃんは、お母さんが具合悪くなると、決まって犯人探しを始める。そういうときに大事なことは、いかにお母さんの調子を良くできるかってことなのに、お姉ちゃんはすぐ誰のせいでこうなった?と問いただす。自分には責任がないから、関係ないと言いたいんだよね。でも、原因探しよりも、まずは目の前で具合の悪いお母さんに、どう寄り添うかの方が大切だよね。それが全然わかってない。」

 

初めて次男の本音を聞いて、私も涙をこぼしながら、「あなたがいてくれたから、お母さんは今まで生きて来られたんだよ。それぞれにたいへんな時期はあったというだけで、お姉ちゃんやお兄ちゃんと同じだなんて思ってないよ。今まで本当にありがとうね。」と語りかけた。

 

しかし、自宅にひとり帰る途中、タクシーに乗りながら、私は泣いた。涙が溢れてしょうがなかった。

 

息子のつぶやいた「僕は幸せじゃなかった。」という言葉が耳について離れなかった。もちろん、それはお母さんのせいじゃないよ。お母さんは僕のために精一杯やってくれたよ、と付け加えてはくれた。

 

しかし、夫を喪い、ひとり親になってからずっと私が思ってきたこと。もしも立場が逆で、夫がシングルファーザーだったら、子供たちはもっともっと幸せだったはずだという思い。夫が撮ったたくさんの写真の中の幼い子供たちは、いつも本当に楽しそうに笑っている。私のような毒親育ちの人間ががんばったところで限界がある。こんなふうに、自己肯定感が極端に低くなるのも、まさに親の放つ言葉の影響が強い。私の親たちは、私がひとり親になってからことあるごとに孫たちの欠点を並べ立て、何かあると「お前のしつけが悪い」と非難してきた。

 

自分たちは、どちらの両親も長生きし、娘二人も一緒に育てて来たのだから、私の心労などわかるわけもない。

 

来月には次男も戻って来てくれる。それはもちろんうれしい。しかし、私はこの一年で気がついた。子供達がみな巣立って寂しいと思っていたが、そうではない。この世の中で、自分の全人生の中でもっとも大切な夫がいないことが寂しいのだ。子育てや仕事に追われてきたことは、ある意味その寂しさを紛らわせてきたに過ぎなかったのかもしれない。この先の人生、パパがいたらどんなに良かったことだろう。今年の命日で14年目を迎えようとしている今でさえ、そう思ってしまうのだ。

 

しかし、もちろんずっと子供と一緒に暮らせるわけではない。だからこそ、来月からの数年は、一日一日を感謝し、心からありがたいと感じて過ごそうと思う。

 

人生で一番大切なもの。

それは人によってさまざまだろう。

生きがいを感じる仕事かもしれない。

どんな時でも味方になる親かもしれない。

かけがえのない息子や娘かもしれない。

大好きな趣味かもしれない。

 

しかし私にとって、やはり天国の夫を超えるような存在は何もない。私が手術をする際に手術室まで入ってきて安心させてくれる存在など、他に誰がいるだろうか。

 

目には決して見えないけれど、時折感じることだけはできる。

 

自宅の片づけ中に昔のレシートが出てきて、うどん屋さんの人数5、という数字を見るなり、ひとしきり泣いて泣いて泣いた。

 

さあ、来月からはこんなふうに涙をこぼす暇もなくなるぞ。

 

ようやく片づけが終わりつつある和室の畳を眺め、心の中でつぶやいた。