終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

テレビドラマ「二月の勝者」スタート

昨年、ふとしたきっかけで読み始めた「二月の勝者」という中学受験を描いた漫画。とにかく面白いと、ハマってしまい最新刊まで読んだ。

 

それが、私の好きな役者さんが主演で、先日からテレビドラマ化されてスタートした。くも膜下出血の唯一の後遺症として、物が二重に見えるという症状があった私。それが、最近は気がついたら朝から晩まで、わりと普通に見えるようになってきた。お薬としては、ビタミンを補給する錠剤くらいで、特別なリハビリ方法はない。先生も最低3か月はかかるように言われていたが、まだ術後1か月と少ししか経過してはいない。先日の術後1か月健診では、MRIの結果も問題はなかった。あとは、術後3か月健診だ。最近は血圧も、降圧薬のおかげでだいぶ下がり安定しつつある。脳血管疾患にかかったひとは、普通の人の正常血圧より、さらに低い血圧値が最終目標だ。少しずつ、いろいろな工夫をしながら頑張りたいと思う。

 

話をもとに戻して、先程の「二月の勝者」。作者はかなり綿密な取材をもとに構成したと聞く。以前にもブログに書いたと思うが、我が家で中学受験を経験したのは、唯一次男だけだ。それも、本格的な中学受験とはまったく違う。もしも、我が家が首都圏にあり、クラスの大半が中学受験を志しているような環境にあれば、話はまったく違っていたかもしれない。

 

ただ、娘が小6の冬に最愛の父親と死別するまでは、我が家はほとんど毎週末のように、どこかにみんなでお出かけをしていた。もし娘が小4あたりから塾に通い出していたら、最後の数年のパパとの大切な思い出がなくなってしまったろうから、普通に公立中学からの高校受験というルートで良かったと思う。

 

また、次男も小3から小5までは野球少年団に入って、かなりハードな練習を頑張っていたから、振り返るとあれはあれで貴重な時間だったかなと思う。もし、次男が小4から3年間かけて大手の中学受験専門塾に通い、運よく難関校に合格できたとしても、果たしてその学校が本人に合っていたかなんてわからないし、難関校出身なら全員東大に合格するというわけではない。また、果たして東大を目指したかどうかもわからない。

 

今現在、息子は経済学部の中のどの学科に決めるかを検討中だ。経済学科、経営学科、金融学科の垣根は低く、決めるのは少し難しそうだ。今息子が興味を抱いているのは、統計学とプログラミングだ。昨日も一緒に「二月の勝者」を見ているとき、黒木先生がサッカーボールが床に落ちる可能性の話をしていたとき、「ああ、あれは高校数学でやった等比数列の話だな、、、」などとつぶやいていた。東大の何と言っても素晴らしいと思えるのは、世界的に有名な一流の経済学者の先生の執筆した本を教科書に、直にそれらの教授の授業を聴けることだろう。一時限が105分という長過ぎる時間はたいへんだが、今学期はようやく専門分野の科目もたくさんあり、一層勉強のモチベーションアップに繋がっているようだ。また、少し早いかとも思うが、就職活動にも関心を持ち始めた。先日、息子に聞かれたのが、外銀てどんなところ? 外資系銀行といえば、私自身の就活において、お恥ずかしい話くらいしかない。私の所属していた英語学科からは、毎年一定数は、外銀や外資系の証券会社に就職していた。私はとにかく英語を使う仕事がしたいと思い、業界研究などは一切していなかった。なんとなく受けた、オーストリア銀行。ひと通り中を案内され、面接が始まった。

「まず、もし当行に入社したら、どんな仕事をしたいですか?」

「はい、先程案内されましたディーラールーム。ものすごい活気を感じました。私もぜひそんなところで働きたいと思いました。」 

「はあ、活気ねえ、、、、。」

 

当時の私は、ディーラーの仕事など何もわかっていなかった。また、事前に私の家のことまで調べられていたようだ。将来は、サラリーマンをやめて、実家の商売を継がなくてはならないですよね?などと聞かれた時は正直驚いた。当然ながら、その銀行からは不採用だった。

 

参考までに、もし外資系銀行にお詳しい方がいらっしゃいましたら、コメント欄にぜひ情報をお知らせください。よろしくお願いします。

 

もちろん、息子はこれから、業界地図や四季報などを見て、さまざまな職種を研究してみるつもりのようだ。

 

私自身の体調といえば、まだまだ身体が疲れやすく無理はできないが、最近の気圧変動には悩まされている。普通は10月に入れば、めまい等も落ち着くのだが、服用している降圧薬の副作用に、めまい、ふらつき、立ちくらみとあるのだから仕方ない。

 

しかし、「一病息災」という言葉もあるように、これからはきちんと定期健診もこなしつつ、自分の身体を自分自身で大切に守ってあげようと思う。

 

きっと私は、55歳で一度は死にかけ、また新たに生まれ変わったのだと、信じて。