終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

もうすぐ奇跡の誕生日

今から1週間後はちょうど私の誕生日だ。とうとう56歳になる。夫がいた頃は、必ず私の誕生日を、子供たちと秘かに計画して、部屋の飾りつけをしてくれたり、お手紙を用意してくれたり、市内の美味しいケーキ屋さんでデコレーションケーキを用意してくれたりして、家族みんなで私のために「Happy Birthday」を歌ってくれた。それは私にとって、ごく当たり前の風景だった。ほんの15年前までは。夫から私への最後の誕生日プレゼントは、中島美嘉さんのコンサートのチケットと、長距離用の自転車だった。

 

夫亡きあと、自分の誕生日がひとつも嬉しい日ではなくなった。自分の誕生日のわずか5日後に迎える夫の誕生日。ほぼ一緒にお祝いをしていた習慣が消え去り、夫は永遠に43歳のままだ。

 

ところが、今年の誕生日は一味違う。私は、本来なら二度と迎えることができなかったかもしれない日なのだ。くも膜下出血の中でも、グレード4という重症度では、他に何も合併症がなかったからこそ、できた手術なのだ。破裂当日に手術ができない場合、ほとんどの確率で再破裂を起こし、そのときは最初のときより一層出血量が多く、ほぼ助からない。よって、再破裂を起こす前に、手術を成功させなければならないのだ。

 

今現在、私はありがたいことに、麻痺も後遺症も何もない。しかし、つい先程やってみた、ラジオ体操。ジャンプができないことに自分でも驚いた。まだ、2回目の手術から2か月も経っていないので無理はないかもしれないが、知らず知らずのうちに、きっと筋力もかなり低下しているに違いない。

 

もともと、運動自体は大好きだ。しかし、この猛暑の中では外を歩くことすら危険だ。家の中でやれることは限られている。一時は治まっていためまいも、最近は気圧の変動などで頻発している。体調の良い日は限られている。

 

それでも、退院後わずかながらやれた料理は、親子丼、牛丼、豚バラ炊き込みご飯、おにぎり、そんな程度だ。しかし、食べ慣れた自分の味はやはり、感動するくらい美味しい。

 

そろそろ目が疲れてきた。今宵はこのへんまでにしておこう。

 

いつまでもあると思うな親と金。

などという言い回しがあるが、

自分自身の命さえ、そうなのだ。

いつ何時、どんな形で突然失うこともありうる。

 

そう考えると、嬉しくないなんて、贅沢なことは言っていられない。

 

今年の誕生日を無事に迎えられることに、協力してくださった、家族、医療従事者、救急隊員の皆様、心より感謝申し上げます。

 

本当にありがとうございました。