終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

東大2年生の息子の現況

久しぶりに、次男について触れようと思う。

 

今はすでに、2年生の春学期のすべての試験を終えて、彼は今、来月に迫った引っ越しの準備と、個別指導のアルバイトをがんばっている。アルバイト先で任意の募集があり、すでにコロナウイルスワクチンも2回接種を完了した。幼い頃誰よりも予防接種を嫌がっていたのを思い出すと、今回自らよく受けたなと思う。

 

東大の場合、入学時には進学する学部は決まらず、ちょうどこの時期、2年生の8月中には、第一段階の審査が下される予定だ。息子は経済学部を希望していて、具体的な学科については、またのちほど決まるようだ。第一段階の定員中、1年生のときに取得した成績で順位が決まる。彼の場合、1年生時に相当頑張ったため、平均点が85点。この点数や順位だけを見ると、昨年ちらっと考えた、文2からの計数も可能な成績であった。しかし、実際には経済学部を志望したため、約250人中、30番台の順位に位置する。これだけを見ると、志望学部に決まるのは問題なさそうだ。

 

だがひとつだけ、聞いてちょっと驚いたことがある。それは、この2年の春学期だ。まず、1年次にかなりの単位を取得したため、履修登録をした単位はかなり少なめだった。よく言われる、猫より暇な文ニートという期間だ。授業はすべてオンライン、かつわずか6コマ。正直、これだけしか授業がないなら、国立大学の学費も妥当な金額か、とさえ感じた。

 

だが、オンラインのせいなのかどうかはわからないが、登録した科目の中にはまったく興味を抱けないものもあったらしい。結局、うまい言い方をすると、「撤退」と呼ぶらしいが、要は途中からつまらない授業は放棄。試験もレポートもやらないということだ。そして、この半年で取得するのはわずか4単位。本人いわく、実は精神的にも落ちていて、いろいろとやる気が出なかった。ごめんね、と。

 

以前何回か春以降に息子のアパートを訪ねたとき、その荒れ方に正直驚いた。食材の買い物はよくしていたが、冷蔵庫の中は賞味期限切れの食材もいっぱい。ゴミ出しもよく忘れていた。洗濯ものなどは、2〜3回分は溜め込んでいる。昨年は洗面所の鏡すらきちんと磨いていたのに、髪の毛が排水溝にごっそり溜まったままだ。料理はしているようだが、洗い物は溜めがちに。寄るときは、多少私の具合が悪くなり寄らせてもらうのだが、あまりの状態に結局私はせっせと家事に勤しんでしまう。

 

はじめはこう思っていた。きっと、勉強で忙しいんだな。なんとか料理はしても、他がおろそかになるのだろうと。しかし、生活の乱れは心の乱れ、とも言うべきか。本来なら、ひとり暮らしをすると友達を呼んだり、友達の家に遊びに行ったりなどできて楽しいはずのところ、コロナ禍のために普通の学生生活は送れない。息子の場合、課題などで忙しいことはあっても、これまで東大のどの授業も、ついていけないほど難しいと感じたことはあまりない。ただ、興味の持てないものでも頑張るというのは、思えば幼い頃からしたことはないのだ。

 

中学高校時代も、つまらない授業で、かつ先生が叱らない場合は、授業中熟睡していたようだ。そして定期試験前には、とてもよくまとめらたノートを女の子の友達に借りて、お礼にしっかりと数学を教えてあげる。そして、常に定期試験では高得点を取るという状況。「天才はいいよなあ。」と男子の友達につぶやかれると内心は頭に来たようだが、そうつぶやきたくなる側の気持ちもわからなくはない。

 

ただ今回も、きちんと試験を受けた科目は、相当面白かったようだ。あとは、後半に、必修科目が2単位だけ残されている。もちろんそれ以外に、専門科目も履修し始めないと、3、4年が相当忙しくなるようだ。

 

ひとり暮らし経験のこの1年は、もちろん無駄ではなかったと思う。だが、この先はまた実家に住んでもらい、あくまで家事は私がメイン。車出しや、体調が悪いときのサポートはお願いするとしても、再び1年生のときのように、本来の勉強の方に身を入れてもらいたいと思う。

 

やはりお互いに、ひとりで住むより家族と暮らす方が、精神的には落ち着いて行けるだろう。

 

かつての自分の大学生活4年間を振り返ると、一日とて無駄に過ごした覚えがないほど、充実していたし、またそれだけ休みなく動く気力と体力があった。そんな青春を送れた自分が、今はほぼ休みっぱなしの生活だ。しかし、最近見た動画にもあったように、人間は、マグロやカツオではないのだから、休みが必要なんだと。毒親育ちのタイプのひとは、休むのが下手だそうなので、できれば病気になる前にうまく休むことが大切だと。私のパニック症状も、最悪だった頃よりは明らかに改善しつつあるものの、つい先日も都内のホテルで、あわや救急車騒ぎになる一歩手前まで行った。まだまだ普通の人よりも、暑さ、熱に弱い。無理にマスクをつけると本当に危険だ。

 

来月末にはようやく、一回目のワクチンを接種予定だ。かかりつけ医のすすめで、次男には付き添いを頼んである。副反応が重くならないことを願うしかない。

 

最後に、ご興味ある方のために、最近よく聴く動画をご紹介します。わかりやすい説明にいつも感心してしまいます。

 

https://youtu.be/POo3M_Qyr5I

 

 

 

約1年間のひとり暮らしを振り返る

あれは、昨年の9月のことだ。

 

次男がこれから初めてのひとり暮らしを始めようとするアパートの部屋で、息子が泣きながら私にこんな話をした。

 

「正直言って、パパが亡くなってからのこの13年近く、僕は幸せじゃなかった。お姉ちゃんとお兄ちゃんが何か問題を起こすたびにお母さんが具合悪くなって。この上、僕まで何か問題を起こしたら、お母さんが本当に死んじゃうんじゃないかと思うと怖くて怖くて。だから、せめて僕だけでもいい子でいなきゃ、って必死だった。なのにお母さんはときどき、僕のことまであの二人と同列に見ようとする。すごくショックだよ。はっきり言って、パパがいなくなったあと、一番お母さんのことを心配して、寄り添って、愚痴でも何でも聞いてきたのは僕だよ。お姉ちゃんは、お母さんが具合悪くなると、決まって犯人探しを始める。そういうときに大事なことは、いかにお母さんの調子を良くできるかってことなのに、お姉ちゃんはすぐ誰のせいでこうなった?と問いただす。自分には責任がないから、関係ないと言いたいんだよね。でも、原因探しよりも、まずは目の前で具合の悪いお母さんに、どう寄り添うかの方が大切だよね。それが全然わかってない。」

 

初めて次男の本音を聞いて、私も涙をこぼしながら、「あなたがいてくれたから、お母さんは今まで生きて来られたんだよ。それぞれにたいへんな時期はあったというだけで、お姉ちゃんやお兄ちゃんと同じだなんて思ってないよ。今まで本当にありがとうね。」と語りかけた。

 

しかし、自宅にひとり帰る途中、タクシーに乗りながら、私は泣いた。涙が溢れてしょうがなかった。

 

息子のつぶやいた「僕は幸せじゃなかった。」という言葉が耳をついて離れなかった。もちろん、それはお母さんのせいじゃないよ。お母さんは僕のために精一杯やってくれたよ、と付け加えてはくれた。

 

しかし、夫を喪い、ひとり親になってからずっと私が思ってきたこと。もしも立場が逆で、夫がシングルファーザーだったら、子供たちはもっともっと幸せだったはずだという思い。夫が撮ったたくさんの写真の中の幼い子供たちは、いつも本当に楽しそうに笑っている。私のような毒親育ちの人間ががんばったところで限界がある。こんなふうに、自己肯定感が極端に低くなるのも、まさに親の放つ言葉の影響が強い。私の親たちは、私がひとり親になってからことあるごとに孫たちの欠点を並べ立て、何かあると「お前のしつけが悪い」と非難してきた。

 

自分たちは、どちらの両親も長生きし、娘二人も一緒に育てて来たのだから、私の心労などわかるわけもない。

 

来月には次男も戻って来てくれる。それはもちろんうれしい。しかし、私はこの一年で気がついた。子供達がみな巣立って寂しいと思っていたが、そうではない。この世の中で、自分の全人生の中でもっとも大切な夫がいないことが寂しいのだ。子育てや仕事に追われてきたことは、ある意味その寂しさを紛らわせてきたに過ぎなかったのかもしれない。この先の人生、パパがいたらどんなに良かったことだろう。今年の命日で14年目を迎えようとしている今でさえ、そう思ってしまうのだ。

 

しかし、もちろんずっと子供と一緒に暮らせるわけではない。だからこそ、来月からの数年は、一日一日を感謝し、心からありがたいと感じて過ごそうと思う。

 

人生で一番大切なもの。

それは人によってさまざまだろう。

生きがいを感じる仕事かもしれない。

どんな時でも味方になる親かもしれない。

かけがえのない息子や娘かもしれない。

大好きな趣味かもしれない。

 

しかし私にとって、やはり天国の夫を超えるような存在は何もない。私が手術をする際に手術室まで入ってきて安心させてくれる存在など、他に誰がいるだろうか。

 

目には決して見えないけれど、時折感じることだけはできる。

 

自宅の片づけ中に昔のレシートが出てきて、うどん屋さんの人数5、という数字を見るなり、ひとしきり泣いて泣いて泣いた。

 

さあ、来月からはこんなふうに涙をこぼす暇もなくなるぞ。

 

ようやく片づけが終わりつつある和室の畳を眺め、心の中でつぶやいた。

 

 

風薫る文月

コメダ珈琲

 

ここに足を運ぶのはいつ以来であろうか。ふと、恵実子は思った。

 

日曜日の朝だが、店内はほどよい混み具合だ。満席になるほどいっぱいでは、パンの芳しい香りよりも、人が充満する匂いで押しつぶされそうになる。かといって、あまりに閑散としていれば、地元でさまざまな店が閉店する中、ここもひょっとしたら危ないか、と余計な心配をしてしまうかもしれない。

 

さて、季節限定の瀬戸内レモンを使用したシロノワールが来た。いったん、筆を置き味見するとしよう。

 

実は恵実子は、コメダ珈琲の名物であるはずの、シロノワールを少しも美味しいとは思わない。これならむしろ、ココスというファミリーレストランのココッシュの方がはるかに美味しいと思う。ココッシュという名前は、ココスで出すデニッシュの略らしい。もしかしたらココスは、都会にはなく地方にしかないのかもしれないが。

 

それはそうと、今回の限定品。ミニサイズでオーダーしてみたが、瀬戸内レモンの爽やかな香りが漂うアイスクリームと一緒にいただけば、なんとか3/4切れまでは一気に頬張ることができた。

 

この店でイチオシのドリンクは、コメ黒だ。コクのあるブラジル最上級グレードの豆をベースに華やかに香り高いキリマンジャロブレンドしたプレミアムな一杯とある。これは、550円を決して高いと思ってはいけないようなお味だ。最後までミルクもお砂糖も足さずに十分味わえる珈琲はそうそうない。

 

この店にひとりで来ると、不思議と小説めいた文章を綴りたくなる。将来は本当にせめて一冊くらいは、何か私小説のようなものを書いて、父のように自費出版でもしてみようか。なんて夢を見ることもある。

 

つい先日、用事もあり次男がひと晩だけ泊まりで帰省した。息子を駅まで送り、帰宅したあとは、見事なほど何もやる気が起きない。気がついたら、午後の7:30くらいから冷房をつけっぱなしで眠っていた。寒さに気づき目が覚めると、時間は夜の11:30くらいになっていた。慌てて冷房を消し、歯磨きだけはしてパジャマに着替え、あえて睡眠薬を服用してから再度床につく。やはり、ひとりはさみしいな。と、つくづく感じる。来月にはもう、次男も我が家に戻って来るというのに。今から、息子が社会人になり、再び巣立つであろうその瞬間を、恐れているかのようだ。

 

ひとりの時間が若い頃からあれほど好きだったのは、逆に言うとひとりきりになる時間がかなり少なかったからだ。誰かといる時間は、自分自身と向き合えないような気がして、ときにひとりで好きなことに没頭する時間が必要だったように思う。

 

さあ、ひとり暮らしも、あと1か月と少しだ。今しかやれないことを優先的にやって行こう。

 

普通は、風薫る五月、というものだが、今朝の恵実子には、七月に入り新しい風が自分のそばを通り過ぎて行ったような気がして、今回のタイトルをつけた。

 

 

 

明日で今年の前半終了

早いもので、明日で6月も終わりを迎える。つまり、早くも2021年の半分がすでに終わろうとしているのだ。

 

来月、私は誕生日を迎え、とうとう55歳となる。いまだにはっきり閉経を迎えたのかもわからず、白髪も染める必要があるほどはなく見た目は真っ黒、あとわずか5年で還暦を迎えるという自覚もない。夫が生きられなかった50代も、半分が過ぎようとしている。

 

そして、来月の1か月が、私にとっていったんは最後のひとり暮らしとなる。そう、8月の夏休み中には次男がアパートを退去し、地元に帰って来てくれるのだ。息子は進振りで、経済学部を希望し、早ければ結果は8月中にはわかるらしい。具体的な学科はもう少しあとで決まるようだ。文科二類の3/4が経済学部に進学できるのかと思っていたが、実際には4/5が進学できるらしい。つまり、将来経済学部を目指したい人は、やはり文科二類を選択した方がいいだろう。以前、次男は言っていた。その年の出願動向を見て出願先を決めるより、やはり将来どの学部に進みたいかを真剣に考えて出願した方がいいと。合格しやすいかどうかなんて、蓋を開けてみなければ誰にもわからない。直前になり第一志望を変更したら、実際には志望を変えない方が合格していた可能性が高い場合も現実にある。

 

息子が帰って来たら、まず話し相手がいるということが何より嬉しい。満1歳の時点で、かなりの言葉を話せたと私は言われる。まるで、口から先に産まれて来たようだと。はじめの頃は、若い頃の懐かしい友達に電話をしたりして楽しい時間を過ごせたこともあった。だが、あるとき中学生時代の同級生と長電話をして、予期せぬひどい言葉を言われ、電話のあとに恐ろしい回転性めまいを起こした。それ以来、顔が見えずに言葉を交わす電話という手段が、少しだけ怖くなった。やはり、表情を見ながら話すというのは大切なことだ。

 

梅雨に入り、ようやく体調も落ち着きつつある。あとは、急に気温が上がるときに気をつける必要がある。私の地域は夏は40℃近くまで気温が上がるので、恐ろしいのだ。

 

1年間、初めて次男と離れて暮らした。卒業までの2年半、一緒に暮らせるのは本当にありがたい。ただ、その先は恐らく社会人に。勤務地次第では、一緒に暮らすことはもうないのかもしれない。

 

三人の子どもたちを見ていると、私が同年代の頃よりも、ずっと自立していると思う。その頃の自分自身を振り返ると、大勢の大人に守られて暮らすことに慣れてしまい、ひとりで羽ばたきたいと思いもしていなかった。OLになっても毎日母の手作り弁当を持って出勤し、貯金がどんどん増えて行くことに満足しているような日々だった。

 

次男が戻ってきてからの生活は、充実させながらも、いつかはまたひとりになるときのために、何かをやりたいと思う。

 

最後に、今日偶然NHKで初めて聴いて思わず涙をこぼした、ある曲を紹介したい。良かったら、聴いてみてください。

 

https://youtu.be/Ihjr5Xz31sI

 

 

 

「ドラゴン桜2」は心臓に悪い

先程、今日の「ドラゴン桜2」を見終えた。

 

うーむ、やはりこのドラマは今の私には心臓に悪いかもしれない。いや、内容としては十分面白いし、見応えはある。

 

だが、もう約1年半近く経とうとしているのに、次男の浪人当時のことをリアルに思い出すのだ。

 

今日、ドラマの中のセリフでひとつ、なるほどと思ったことがある。先生と生徒で、バスケットボールのフリースロー対決をしたときのことだ。最初は生徒が優勢だったが、結果的には先生が勝つ。その理由を先生はこう説明した。「お前は最初優勢だったから、このまま行けば勝てると思った。ところが、5本目を外したときから、残り4本はすべて外せないと思ったはずだ。そこから焦りが芽生えた。俺は最初から、6割入ればいいと思ってやった。だから4本は外しても全然焦らなかった。完璧を求めてはいけない。必要な点数を取れればいいんだ。」

 

このセリフを聞いて、次男の数学に対する姿勢を思い出した。彼にとって、当時のセンター試験の数学は、決して難しいものではなかった。時間は厳しいところもあるが、彼の計算速度はとにかく速い。よく出る計算式などは、すでに答えを暗記しているほどだ。それゆえ、模擬試験や、自宅で時間を測り落ち着いて解く場合は、2科目ともたいてい満点だった。ゆえに、本番でも当たり前のようにそれを目指す。だから、もしたとえ100点満点中90点台でも、彼としては納得がいかないのだ。

 

東大の二次試験にしてもそうだ。駿台の模試などで80点満点を数学で出したり、他の模試で満点までは行かなくても偏差値で70を切ることはほぼなかった。なので、本番の数学の目標も60/80点以上は目指していたはずだ。しかし、必ずしも本番で、一番得意な分野が出題されるとは限らない。

 

予備校のチューターさんが、数学はギャンブル性の高い科目という表現をされたときは正直驚いた。仮にも受験勉強をする内容に、ギャンブル性があるなどとは思いもよらなかったのだ。実際、東大の試験の中でも、数学が易化した年度には、数学がふだんなら苦手な生徒も高得点を取れていたりする。

 

改めて、当時のさまざまなことを思い出し、震えが来そうになった。

 

これまでの東大での授業の感想はというと、やはり文系向けに行なわれる数学の授業は、かなり簡単に思えるようだ。たとえば、同じ線形代数でも、理系向けの授業の方はかなり難易度が上がるようだ。

 

今年の夏には、まずは学部の一次選抜があるだろう。経済学部までは決めているが、どの学科を希望しているのかは、今のところじっくり話をまだ聞いていない。せめて、3年生で行われるゼミくらいは、対面式で受けられれば良いと思うが、どうなるか。

 

春学期の定期試験が終わったら、引っ越しの準備をし、8月中には完全に自宅に戻ることに決まった。1年間のひとり暮らしの経験は、実に貴重な体験だったと思う。まめに自炊していたおかげで、食費を含めたお小遣い分が、毎月4万以内で抑えられたのは、感心すべき点だろう。家計簿をつけていないのに、ほとんどの食材の値段は覚えてしまった。なぜか、都内のスーパーは、地元よりも安いようだ。

 

次男が帰省すれば、私もこのいい加減な食生活からは抜け出せそうだ。

 

本日は父の日であった。娘夫婦で初めて主人のお墓参りに来てくれ、とても嬉しかった。そして、主人の実家にも挨拶に行き、とても喜んでもらえた。慌ててネットで注文したマスクメロンが、ちょうど良い食べ頃で本日届いたようで、みんなで堪能することもできた。「パパが二人の姿を見られたらなあ。」と義父がつぶやくと、娘の目から涙がこぼれた。

 

80代になる義父母には、できればひ孫の顔を見られるくらい、まだまだ長生きしてほしいと心から願わざるを得ない。

 

かなり久しぶりに訪れた夫の実家は、以前と変わらぬ、温かく優しい雰囲気に包まれていた。

 

 

「ドラゴン桜2」を見て

前回の記事を書いてから、だいぶ時間が空いてしまった。

 

結局、当分個室は空かないため、入院こそしなかったものの、毎日寝込んでいたわけでも、また毎日調子が良かったわけでもない。体調が悪い日も多い中、合間を縫って娘のウエディングドレス選びに奔走していたのだ。それについては書きたいことも山ほどあるが、それはまた別の機会としよう。

 

今日は数日ぶりに自宅に戻り、録画しておいた「ドラゴン桜2」を見た。ちょうど、受験生が初めて東大模試を受ける回だった。自分自身が受験したわけでもないが、ついつい次男の時のことを思い出し、見ているこちらまで緊張した。結果が出て、教師が判定について説明をする。この時期、受験生の50%はE判定。わずか8%がA判定だという。また、ドラマの中のセリフでは、難関校のトップクラスの生徒でも、この時期のA判定は簡単ではないと言う。教師がさらに説明する。E判定の合格率は20%。つまり、100回東大を受けたら20回は受かるということだ、と。逆にA判定のひとは、単純計算では100回受けたら20回は落ちてもおかしくないということか。

 

あの、息子の現役時代、東進、河合、駿台の計6回の東大模試のすべてが、A判定の中でも比較的上の方。それが見事に、親子ともに本番も体調さえ崩さなければ大丈夫だろうという、妙な安心感に繋がってしまったことは間違いない。

そして、残酷にも予想とは正反対の結果が出る。いくら、惜しい方の結果だとしても、不合格には変わりない。

 

あれから、はや2年以上の月日が流れた。よく、あの挫折を乗り越えてくれたと思う。

 

息子は、中学受験のときに選んだ学校1校と、現役浪人を通じて実際に受験をしたのは、結果的にセンター試験と、東大の二次試験のみだ。もともと、面倒くさがりのところもあり、必要以上に多くは受けたがらない。

 

今年の春学期の授業は、週になんと6コマしかなく、最近になり新たに個別講師のアルバイトを始めた。また、オンラインでも、リアルな場所でも、東大生の友人と時々麻雀(賭けたりはせず)を嗜んでいるようだ。聞いた話では、イギリスの貴族などは、子供に幼い頃から賭け事を学ばせるという。それは、将来ビジネスでの駆け引きに欠かせない勘を養うためだそうだ。日本ではちょっと考えられないことだろう。

 

息子によると、将棋は本当に実力がないと勝てないけれど、麻雀は運もあり、まれに強い相手に勝てることもあるという。

 

秋学期以降は、多少専門分野の授業も入って来るのか、この2年の春学期だけは、文2生にとって唯一少し落ち着ける時期なのだろう。

 

高校受験をしていない彼は、アルバイトの試験で、高校数学の入試問題が一番難しかったと言っていた。息子の苦手な図形問題が多く出たらしい。

 

今まで経験したことのないアルバイトを始めるのは、新鮮なようだ。

 

さて、もう夜も更けた。そろそろ床につくとしよう。

 

そういえば先月、長男が自ら会社を半日有休を取り、私が入院するかもしれない病院に付き添ってくれたことは、本当に嬉しかった。ふだんはなかなかまめに連絡も取らないが、いざというときは頼りになる。それがわかっただけでも、だいぶ心強かった。本当に、ありがとう。

 

入院をすすめられる

なかなか、ブログを書けずにいた。

 

ここ最近の自分は本当におかしい。これまでもストレスによるさまざまな身体症状はあったが、今回のような事例はなかった。

 

まず、情けないことにもはや、心情的にひとりで暮らすことが困難な状況となって来ているのだ。高齢者になっているわけでもないというのにだ。

 

4月に次男がアパートに戻り、再びひとり暮らしに戻ってからというもの、いったい何度緊急で三人の子供たちを呼び出したり、ふだんなら極力頼らないようにしている両親にまで電話をかけたことだろうか。それも毎回、救急車を呼ぶべきか、いったん様子を見るべきか、真剣に迷いながらだ。

 

4月の出血は歯茎からのもので、一度きりだ。

 

しかし、5月に入り、睡眠薬も効かない不眠、季節の変わり目によくある浮動性めまいが頻繁に出始めた。これらの症状なら、以前にも経験はある。

 

ところが、ついに、今まで一度も起きたことのない、回転性めまいが突然現れ、3日連続で起きたのだ。内一回は、まともに立ち上がることも歩くことも困難なため、救急車を呼んでもらった。

 

脳のCTも異常なし。念のために耳鼻咽喉科も受診するが、耳石なし、眼振なし、聴力良好、いわゆる耳鼻科的にはメニエールなどのいくつかの耳から来る病気のどれにも当てはまらないと。

 

救急車で運ばれた翌日にも再び回転性めまいが起きたときは、次男と、初めて出勤日に仕事を休んでもらい駆けつけてもらった娘に付き添われながら、なんとか車に乗り込み病院に連れて行ってもらう。そこでまた、点滴治療をする際に医師に言われたのだ。

「もう、いっそのこと入院しますか? 脳に異変はないから緊急性はないけれど。あなたもこうやって毎日ぐるぐるめまいが起きると、病院に来るのもたいへんだし、入院すれば移動せずに毎日点滴ができるからね。まあ、1〜2週間というところかな。」

 

よくよく話を聞いてみると、現在は少数だが別病棟にてコロナ患者も受け入れているらしい。入院時と退院時に、それぞれ2回ずつPCR検査をする。個室は空きがあれば入れるが、なければ相部屋になる。過去の経験上、めまいと、橈骨遠位端骨折の時に入院した際、まず相部屋では熟睡できない。個室でも、近くの部屋の患者さんが夜中に奇声を上げるケースもやはり眠れない。睡眠薬を使用しても眠れない場合、当然日中は体調が悪くなる。個人的には、いくらか割高になろうとも、感染リスク等も含めて考えれば、個室なら入院してみようかなと。

 

火曜日あたりにいつものかかりつけ医に相談し、それによっては以後2週間程度を目安に入院するかもしれない。

 

そして、肝心なのは退院後だ。数年前にめまいで入院したときは、退院後家庭内でのストレスから、再び救急車に乗るはめになる。しかも、当時はストレスがマックスになり、私は一時的に声が全く出なくなった。救急で運ばれた担当医は、ひどい医師だった。どうも、口が聞けない患者を障害者と同じようなものだと思ったのか、点滴が終わると私の腕を結構な力で叩いたのだ。夫が目の前でそれを見たら、医師に威嚇したか、「友人の弁護士に話して訴えるぞ。」くらいのことは言い放ってくれたに違いない。黙って大人しくその様子を見ていた父は、医師にこう言われた。「救急とは本来命に関わるような重病人が来るところですから。これ以上、この病院に来ても、本人の病院への依存を強めるだけです。うちではなくて、心療内科に急いで連れて行ってください!」

 

これが、仮にも日本赤十字病院に勤務する医師の言うことか。と、そのときはつくづく呆れた。以前、めまい専門医の著書で読んだことがあるが、特に5〜6月、日本全国でめまいを起こし、救急搬送されるケースは多数ある。それは、私のようなめまいだけではなく、脳疾患でめまいを起こし、一歩間違えれば命に関わる緊急の場合もあるからだ。CTで検査をしない限り、素人にどう緊急性の有無が判断できるというのだろう。

 

それ以来私は、めったなことでは救急車には乗らないようにした。好きで失声を起こしてはいないのに、言葉をまともに話せないだけで、虐待の対象にすらされかねない。弱者の立場に立てないような人格のひとには、本当に医師にはなってほしくないと思う。

 

また後日、体調の良い日に、続きを書こうと思う。