終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

手術日5日前

今夜から、理由があって実家に泊まることになった。来週の今頃はもう、手術も終わり病院に入院しているかと思うと不思議だ。

 

手術の経験は、自覚あるものとしては、左手首の粉砕骨折のときの手術、プレートの抜釘手術に続き、三度目となる。もちろん、忘れてはならないのは、昨年の命のリスクがかかった、くも膜下出血時のカテーテル手術だ。

 

いま、10歳年下のいとこが同じ病院にかかっている。彼女が言ってくれた。「たとえ100回手術の経験のあるひとがいたとしても、手術の前に不安にならない人なんていないと思うよ。」と。

 

その通りだ。たとえパニック障害などない人でも、やはり手術となると、それは不安に違いない。

 

今回私は、つくづく前の病院から転院して良かったと思えることがある。   

 

それは、よく言われているステントではなく、パルスライダーという最新のデバイスを使い手術をしてくれることだ。このデバイスの利点は、金属の量を減らせるために、術後に服用する血液サラサラにするお薬の服用期間を大幅に短縮できることだ。

 

脳梗塞のリスクを少しでも減らせるなら、ありがたい。

 

また、今回は、根治に向けての治療だと。知らなかったが、癌に対しては根治という言葉はなかなか使えないそうだ。動脈瘤は、瘤の中に血流さえ入らなければ問題はないという。その血流が2度と入らないようにするための手術なのだ。

 

なんだか、こうやって文字に起こしてみると、精神的にもかなり落ち着いてきた。

 

今後の人生、安心して歩んで行けるための治療なのだ。むしろ、楽しみにして迎えるべきだろう。

 

次に更新できるのが、いつになるかはわからない。

 

皆さま、無事を祈っていてくださいませ。

 

 

追加治療としての再手術

最近、めったにブログを書けなくなった。書く気力がないというか、要するに私自身の体調が悪いのだ。

 

それは、本来の病気というより、パニック発作であったり、気圧変動によるめまいであったりだ。

 

4月はじめに、定期健診として、脳神経外科に出向いた。驚いたことに、執刀医であった女医さんは、家庭の事情により、急遽病院を辞めることになったという。詳しい事情はわからない。

 

代わりに、あなたの手術に僕も立ち会いましたから、ステント手術は僕でいいですよね?と、軽く助手のような若い医師に言われる。慌てて、セカンドオピニオンも聞いてみたいので、聖路加病院に紹介状を書いてもらえるか、確認する。快く書いてくれたが、聖路加病院でも同じことを言われると思うけどね、と一言言われる。

 

昨年秋に、動脈瘤の再開通の話を聞いてから、自分なりにいろいろと調べていた。ステント手術はリスクもあるので、熟練した医師を選ぶよう、本でもネットでも書いてある。私が若い医師に確認をする。「その手術は安全なんですか?」

医師が答える。「あなたねえ。100%安全な手術なんて、ひとつもないですよ。」

 

そんなことは、言われなくても素人にもわかる。もっと詳しく、手術の必要性やリスクについて、説明してほしかったのだ。

 

聖路加病院に足を運ぶ。前の病院との対応の差に驚く。

 

まず、くも膜下出血で倒れた日以来、一度もカテーテル検査をしていないことに驚かれる。カテーテル検査では、MRIよりもさらに詳しく、いろいろなことがわかるらしい。普通は、最低でも、6か月健診の頃にはやるらしい。紹介状についていたデータでは、詳しいことが一切わからないと。早速、一泊入院でカテーテル検査をすることになった。

 

私は倒れた日の意識は全くないので、どんな検査をしたのか、全くわからない。初めての検査をするような感覚で、当日の朝はメンタルから来る吐き気がひどく、介護タクシーに乗れるか、自信がないほどだった。当日付き添いをしてくれたヘルパーさんが、「だめなら、途中で引き返したっていいんですから。」と私を鼓舞し、なんとか抗不安薬を服用して、車に乗り込む。ほどなく寝ついて、目が覚めたときには、首都高速を降りる頃であった。そして病院につき、入院する病室に案内される。実際に検査を受けた感想は、患者さんのブログなどで書かれていたようなほど、怖いものではなかった。やはり、下手に経験者のブログなど読むものではない。感じ方は人それぞれだからだ。

 

検査の結果、やはり根治を目指して、コイルやステントを用いるカテーテル手術をした方が良いと。

 

手術前後に、長期間血液をサラサラにする薬を服用する必要はあるが、脳梗塞予防のためには仕方ない。

 

と、ここまで冷静に現状を綴るには時間がかかった。

 

読者の皆さま、どうか成功を祈っていてくださいませ。

 

恐らく手術は6月中になると思う。   

 

頑張ってきます!

 

愛娘の結婚式

3 月末に娘の結婚式の日取りを決めたのは、ちょうど1年前だった。あの頃は、まさか自分がくも膜下出血カテーテル手術からおよそ半年後にあたるとは夢にも思ってはいなかった。

 

留め袖はゆるく着付けてもらうものの、やはりしんどく、途中休憩を入れながら宿泊していたお部屋の方で、メイク、髪結い、着付けまですべて、スタッフの方々が集まってくださり行なわれた。部屋から、親族紹介の場所までは遠く、急いで移動はまだできないから、恥ずかしながら、少々遅れてしまった。そこはあちらのご両親にも丁重に謝り、お互い笑顔での初顔合わせが無事にできた。

 

教会式では、新郎新婦二人揃って登場。入口のところで新婦の母である私がヴェールダウンを行う。外国人の牧師さんにより式は執り行われ、誓いのキスをして、無事に終了。私は娘に、「幸せになってね。」と声をかけた。

 

披露宴では、残念ながら留め袖を着続けることができず、再び宿泊部屋に戻って、スーツに着替える。披露宴の最初に行なわれたケーキカットは見逃したけれど、あとで写真を見て堪能することができた。桂由美のウエディングドレスと、クチュールナオコのカラードレスは、どちらもよく似合い、好評だったようだ。

 

最後に娘が私あてに読んでくれた手紙。本当に感動した。

 

兎にも角にも、挙式だけは無事に参列できて本当に良かったと思う。

 

無事に春から赤門へ

ここ最近の私の体調はすこぶる悪い。ブログの存在を忘れそうになるくらいだ。

 

本日、東大生の息子の経済学部への進学が無事に内定した。そう、東大生でも留年するひとは存在するのだ。それも、希望の学部に進学するためにわざと降年する学生もいるらしい。

 

次男の場合、1科目だけ必修で落とせない科目もあったが、それも無事にクリア。

 

そして、遅まきながら東大も、ようやく来年度からは対面授業が基本となる。とはいえ、毎日通うわけではない。一日おきだ。本人にとって、良い気分転換になれればと願う。何しろせっかくの春休みも、基本的には私のために、毎日そばにいてくれるのだから。

 

家族の中に病人が出ると、本人はもちろんのこと、周りで見守る家族もたいへんな負担を負うことになる。

 

一度は私も、「あの日、自分は本当に助かって良かったんだろうか。」と思わざるを得ないほどに、疲れきった家族の姿を目の当たりにした。

 

麻痺も後遺症もないために、リハビリ病院に入院することもできない。かといって、いまだにこなせる家事はわずか。それどころか、連日のように、パニック発作、めまい、新しい薬の恐ろしい副作用などに悩まされる日々だ。

 

気づいたら、娘の結婚式まで、約2週間と迫っている。

 

もう何もかもがきっとうまくいくはずだ。否が応でも、そうポジティブにとらえるしかない。心配したところで始まらない。

 

娘を送り出す母として、精一杯役目を果たそうと固く決意している。

 

娘よ。結婚本当におめでとう!!

 

明日で東大の定期試験終了

国立大学の春休み開始は遅い。

だいたい授業そのものが1月末まであることが多く、そのあとに定期試験に入る。

 

次男は一度だけ、対面での試験を受けに駒場キャンパスまで出向いた。その他の試験はすべてオンラインだ。

 

長かった試験期間もようやく明日で終わる。試験中に私の具合が悪くなったらいけないと、余計なプレッシャーをついつい自分にもかけてしまっていた。

 

春休みに入れば、私自身もかなりホッとできるだろう。

 

目下一番困っているのは朝だ。早朝に目覚めて、なんとか二度寝をして、そのあと起きると吐き気がひどい。実際に戻すことはない。これはどうも、不安感や恐怖感から来ているようだ。ちょうど甥が不登校の時期に同じような症状だったらしい。朝ごはんも最近ようやく食べられるようになってはきたが、食欲がないことはめったにない私が、1月はなかなか朝ごはんを口にできなかった。何の味もしないが、仕方なく少しは口にする有様だった。ごはんを食べられないとエネルギーがわかないから、余計具合が悪く、午前中いっぱいはギアが入らない日も多かった。しかし、今朝は珍しく、9:30くらいにはメンタルも落ち着き、身体も動かすことができた。

 

気持ち悪い中でのお手洗いやお湯沸かしは辛い。寒いと思い暖房をつけると、今度は顔ばかりが火照りで赤くなる。今朝はわざと暖房を消して、たくさん布団をかぶり、お湯ではなくお水を飲むようにしたら、火照りはなかった。体温調節が、なかなかうまくいかない感じだ。

 

病気をして初めて迎える冬は、どんな人でも辛いという。その冬が、こんなに寒いとは。

 

春が来るのが待ち遠しい。

 

これまでもたくさんのことを乗り越えてきた。

 

きっと今回の辛さも、いつかは乗り越えられる日が来るだろう。

 

頑張れ、わたし!

 

救われた命を大切に生かせ!

 

本日でこの世に生還して4か月

久しぶりのブログだ。

 

とうとう今日で、くも膜下出血を起こし、心肺停止からの生還を果たし、カテーテル手術をしてから、4か月が経つ。

 

と、いろいろ書くつもりでいたら、少し頭痛がしたので、早々に辞めておく。

 

この病気を発症した方の中では、恐らく自分ほど頭痛が少ないひとは稀であろう。

 

ただ、最近寒くなったためか、時折かすかに頭痛がある。それでも鎮痛剤がすぐに効くくらいで済むのは、ありがたい。一般の頭痛持ちの人の方がよほど痛むのだろう。それでも、かすかに痛むことも病気の前はなかったので、気になるのだ。

 

その他諸々書きたいことがあったが、今夜はこのくらいにしておく。

 

とりあえず、今の私は身体の方は少しずつ順調に回復しているが、メンタルはそうはいかない。

 

いつか書ける頃には、回復していますように。

 

では、皆さん、おやすみなさい。

術後3か月健診までの1か月

しばらくブログを書けずにいた。

 

つい先日、くも膜下出血の手術後3か月健診があったのだが、そのちょうど1か月前に、めまいがひどくなり同病院を受診したのだ。その診察のときに私がこう話した。

「めまいは元から起きることがありましたが、この季節にひどいのは珍しいです。なんだかこの病気にかかってから、わずかな身体の不調でももしかしたら脳に問題があるのかと、過剰に不安になりがちなんですよね。」

それを聞いて先生はこう言った。

「でしたら、今ちょうどMRIに空きが出たので、ついでに検査もしておきましょうか?」

それは予定外の検査だったが、念のために受けることになった。結果を聞くまでは、さほど心配などはしていなかった。

 

結果はすぐに判明する。

ちょうど次男に送迎してもらい来院したので、息子も一緒に聞くことになった。

 

先生が拡大画像を見せながら、詳しく説明する。コイルの中にわずかに血流が見られます。つまり、再発ですね。

 

え? 再発???

 

このまま次回の健診まで様子を見ましょう。血流が増えてくるようだと、場合によってはカテーテルで、血管にステントを留置する手術が必要になるかもしれません。ステントを入れると、脳梗塞のリスクが高まるから、手術前2週間と、手術後半年間は、血液をサラサラにするお薬を何種類も毎日服用してもらいます。動脈瘤の場所が場所だけに、万が一脳梗塞になると、脳の半分が全部やられますから。

 

えーっ? 入院中からずっと順調とか、奇跡的な回復といろいろなひとに言われ続けていただけに、私にとっては青天の霹靂だった。

 

それからの1か月というもの、ほぼ毎日のように、めまいやパニック発作が起きた。気圧の変動もあったと思うが、主な原因はやはり精神的ストレスだろう。

 

そして、いよいよ術後3か月後健診。

MRIの結果を見て、先生が早口で淡々と説明する。

「前回から変化なしですね。はじめに起こした脳梗塞のあとももう心配ない状態ですから、血液をサラサラにするお薬はもう不要です。目ももう二重にはみえませんよね? ではこちらのお薬ももう終了です。次回は3か月後ですね。 」

 

話を終わらせようとする先生に慌てて私は質問する。

「あの、この前おっしゃっていた血流の方は?」

「前と同じです。増えてもいないし、減ってもいません。」

「ではステント手術の件は?」

「必要ないです。」

 

そんな風にあっさり診察は終わり、あとは看護師さんと次回の健診の予約をした。

 

この1か月、いったい何だったんだろうか?

 

どれほど自分の身体を心配し、過剰に不安になり、実際にパニック発作も悪化した。途中、救急車にもお世話になったり、何度めまい用の点滴をしたことだろう?

 

いざというときのために、セカンドオピニオンを聞くことも考え、東京の大きな病院にも打診の電話をしたりもした。

 

脳内にステントを置く手術が日本で認可されてまだ約10年だ。長期的な影響はまだ医師にもわからないという。

再破裂のリスクと、脳梗塞になるかもしれないリスク。せっかく今、何の麻痺も後遺症もない身体なのだ。全面的にサポートしてくれる伴侶もいないし、子どもたちに迷惑がかかるような生き方だけはしたくない。元気があってこその長生きだ。

 

歴史ある病院に比べ、新しい病院ほど、新しいやり方を試したくなる傾向にあるという。私の入院した病院は、まだ設立して10年ちょっとの新しい個人病院だ。医師は確かに名医を集めたようだが、いろいろと信頼できない点も多い。

 

今はただ、次回の健診も何事もないようにと願うばかりである。