終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

我が家の子供たち

今日はたまたま以下の記事を目にしたので、我が家の現状と比較しながら、ブログを書いてみようと思う。

 

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO50436910R01C19A0000000?channel=DF131120184474

 

上記の記事にある「子供部屋おじさん」などという表現は、初めて耳にした。

 

我が家の場合、まず、長男においては10年、次男においてはわずか7年しか一緒にはいられなかったが、父親の存在というのは、かなり大きいものがあったと思う。

 

日本はアジアやヨーロッパなどと比べても、まだまだ家事をきちんとできる男性は少数派ではないかと感じる。これは、イギリス留学当時に目にした、他国の同世代の男子の様子が、一般的な日本人男子とあまりに違ったからだ。

 

それについての詳細はここでは省くとして、夏子の夫は、ひとり暮らし経験がまったくなかったとは思えないほど、家事には最初から積極的だった。

 

すべてが初めから完璧だったわけではない。しかし、回数を重ねて行くうちに、料理を始めとするさまざまな家事が得意になっていった。

 

亡くなるおよそ2か月前には、長男のズボンの膝を、パッチワークで継ぎ当てまでしているのだ。また、息子たちが庭で野球遊びができるようにと、バッティングのためのネット張り工事までこなしていた。

 

日曜大工も、ゴミ出しも、スーパーでの買い物も、いつも子供たちを連れて、実際にやる姿を見せていた。自分ひとりでこなすのではなく、子供たちにもうまく手伝いをさせていて、教育的にも素晴らしいと近所でも評判の父親だった。

 

なので、息子たちは男子が家事をやるのは、あまり抵抗なく感じている。

 

長男は高校生の頃から、自分のものは自分で単独で洗いたいと言い、洗濯は自らしていた。料理にいたっては、小学校高学年くらいから少しずつやり出し、中学の部活のお弁当を自分で作ることもあった。あるとき、私が残業で帰りが少し遅くなり、ご飯だけ炊いて、市販のお惣菜を夕飯にしたことがあった。すると、塾から帰宅した娘が、お母さんの手作りを楽しみにしながら、高校受験のための勉強を頑張ってきたのに、こんなおかずはひどすぎると言われ、喧嘩になったことがあった。すると、中学1年の長男がさっと間に入り、こう言った。「お母さん、お姉ちゃんも塾で疲れているみたいだから、それ以上は言わないであげて。お姉ちゃん、サッポロ一番の塩ラーメンで良ければ、キャベツを刻んでこれから作るよ。」「じゃあ、お願い。」と娘が答えて、さっとラーメンを用意してくれたこともあった。

 

今、ひとり暮らしを始めた長男のアパートの台所には、多種類の調味料が並んでいる。まめに自炊をして食費をかなり抑えているようだ。先日訪れたときは、豚肉のオイスターソース炒め丼を振る舞ってくれた。これ、味付けはオイスターソースと黒胡椒だけなんだよ。ひとつの料理には、あまり多種類の調味料を合わせない方がかえって美味いと言っていた。確かに、生姜焼きもびっくりの、美味しい豚丼だった。

 

長男は、高校生の頃から、ひとり暮らしに憧れを抱いていた。次男の方も、来年進学が決まれば、ひとり暮らしをしたいと考えている。いつまでも母親と一緒だと、なかなか自立できないと思うようだ。

 

娘の方は、社会人になって地方でのひとり暮らしを余儀なくされたが、ひとり暮らしが嫌というより、やはり都会、特に東京とかけ離れたところに住むのは、耐えられないようだった。こちらに戻ってきてからも、山を見るのがトラウマだという。本来は美しいものが、寂寥感と孤独の象徴になってしまったのか。

 

ひとり暮らしの間は経済的にも完全に自立するが、やはり同居だと、来月から少しは家に入れてもらうとはいえ、純粋に折半というのも難しい。そして、自分自身がそうしてもらったように、娘から預かるお金は、将来のための貯蓄に回そうと考える。

 

今、隣りの部屋では、次男が初めてラグビーの試合を観戦している。もともと、スポーツ観戦は大好きな息子。ラグビーのルールも何とか少しずつ理解したようで、歓声を上げながら観ている。まあ、たまには息抜きも必要だろう。一日中、勉強ばかりではパンクしてしまう。

 

今日はとりとめのないことを書いてしまったが、やはり、子供が自立したいと思うかどうかは、家事を面倒に思うか、自分のお金をどこまで使いたいか、によるような気がする。それは、大人になって突然生じる感情というより、幼い頃からの長い時間の蓄積により生まれる感情ではないかと思う。結局、どのように家庭の中で育ってきたか、ということに尽きるのだろう。