終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

目の怪我

最近は、なかなかブログを書くことができない。というか、もはや自分がブログを書いていることすら、忘れそうになる。

 

今は、眼科に来てブログを書いている。ゆうべ、シャンプーした髪を乾かそうとドライヤーを使っていた。そのドライヤーは娘のもので、美容師さんにすすめられたという、プロ仕様の本格的なものだ。左手首の骨折以来、自分でうまく乾かせない時期も多かったが、今ではなんとかひとりで乾かすことができる。勢いよく、乾かしていたその時。「痛い!」

思わずドライヤーの先の尖った部分を右目にぶつけてしまった。とっさに目をつぶったつもりなので、目の中まで傷つけたとは思わなかった。そしてそのままにし、今朝になって鏡を見て驚いた。

 

これは、ものもらいなどではない。右目の白目の部分が出血しているではないか。慌てて、娘に眼科まで車で送ってもらった。

 

つくづく、今年はついていないなと思った。

 

1月。

ふだんはこの時期にめまいなど起きないのに、センター試験が無事に終了したあと娘が帰省。いつものようにもてなし疲れを起こし、初めて冬の神戸へ。そこで次男の東大への願書を提出。ただ、いつもなら鍼灸治療で嘘のように体調がよくなるのだが、不思議とあまり調子は上がらなかった。そう、そこはめまいには効果バツグンなのだが、その時点ではまだ自分がパニック障害だと気がついてはいない。3時間ほど乗る新幹線は、何の問題もなく乗れていた。

 

2月。 

次男は無事に一次試験を通過。特にマークミスもなく、自己採点通りの結果になる。あとはいよいよ、本命の二次試験のみ。しっかりとサポートすべきところ、私の体調がわけわからないほど、悪化する。私がすぐ近くの実家に頼るのは、本当によほどのとき。いわば最終手段だ。次男は実家に行くのは嫌だという。そこで仕方なく、私だけが実家に世話になり、長男と次男の二人は自宅で留守番をしてもらい、毎日夕飯だけは母が作って父か私が息子たちに届けるという毎日だった。

 

3月。

いよいよ合格発表の日。私の体調は相変わらず優れなかったが、これまでのひとり親としての苦労がすべて報われる日。などと勝手に思い込み、結果を知るまで、合格を信じて疑わなかった。結果が出て長男に伝えると、「わかった。」と一言。そのあとの長男の行動は早かった。一年後の再受験のときに、再び自分が弟のそばにいてはいけない、また自分自身もいたくはない。そう判断したかのように、あっという間に大学近くでちょうどいい物件を見つけ、ひとりで不動産屋も回った。あとは手続きに私が行くだけ。自分の関心があることは、こうも仕事が早いのだなと、感心というかなんというか。

 

4月。

とうとう、更年期障害などではなく、パニック障害を発症していることが判明する。不思議と、春恒例のめまいはめったに起きない。

 

その後の経過は、長くなるので割愛しよう。

 

両親ともに揃っていると、どちらか具合悪くても、片方が元気だったりして、うまくバランスが取れることもある。しかし、ひとり親は理想を言えば、子供たちが巣立つまでは、ずっと常に元気でいたい。

 

振り返れば、私も、まだ40代の頃はなんだかんだとずいぶん元気はあったのだと思う。よく、あれだけたくさんの仕事や雑事をこなしきれていたなと思う。

 

受験終了まであと2か月ちょっと。そのあとはさすがに少し、ゆっくりできるだろうか。

 

ようやく今、診察が終わった。幸い、まぶたの上から打撲して、内出血が起きたが、特に眼底出血もなく、網膜にも異常はないとのこと。10日もすれば、良くなると言う。大事には至らなくてホッとした。

 

来月はいよいよセンター試験。昨年と違い、遠方の試験場のため、前泊のためのホテルを予約した。手作りのお弁当は持たせられないが、逆に近くに泊まれるというのは安心だ。今年は私も、部屋は別だが、二次試験も含めて同行する。昨年の二次試験のときは、息子以外みな母親と同泊していたようだ。今年は本人も、私が一緒でも特に嫌がらず、素直に「ありがとう」と言ってくれる。

 

まずは昨年と違い、出願する大学が多いのでミスがないよう注意しないと。

 

来年受験を控えているご家庭の皆さま。

共に頑張りましょう!!