終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

今朝驚いた出来事

最近、ありがたいことに睡眠薬を使わなくても朝まで熟睡できている。

 

ゆうべもそうだった。

ただ、今朝方は5:20くらいと、いつもよりは早く目が覚めた。

目覚めた瞬間、口の中に何か痰らしき変なものが混じっているのを感じた。

とりあえずはお手洗いを済ませ、洗面所に向かう。そして口の中のものを吐き出してみると、びっくりした。それは痰などではなかった。どす黒い色が混じったような色の、血の塊だったのだ。

 

え? と思い、うがいをしてみると、あとからあとから、真っ赤な血が水と混ざりあって出てくる。てっきりそれは、身体の中、つまりどこかの内臓から出ているものかと思った。

 

どうしよう。娘の来年の挙式会場や日程が決まったばかりだというのに、まさか私は、何か大きな病気にでもかかっているの? とっさにそう感じ、今すぐ救急車を呼ぶべき状態なのかどうか、本当に焦った。幸いひどいパニック状態に陥ることはなく、朝は早かったが、とりあえずは家族に電話をしてみる。

 

順番はよく覚えていない。長男、次男、父、実家の固定電話、24時間営業中とあるかかりつけの総合病院。何回かかけても誰も出てくれず、ようやく繋がったのは娘だった。

「お母さん、今血を吐いちゃったの。まだ止まらない。悪いけど、こっちに来られる?」

起きたばかりの娘が、

「ん? 大丈夫? 今日は仕事が休みだから今からそっちに行くよ。」

 

とりあえずは急いでこちらに娘が駆けつけてくれることになり、まずはホッとした。

 

そしてそのうち、うがいをしながら血を吐き出していくうち、右奥歯の歯茎が異様に腫れ上がっているのがわかる。もしかして、ここから出血しているのか? やがて何度もうがいをしていくうちに、ようやく出血も止まった。ただ、ぶよぶよした感じは残っていたが、最終的にはそれも舌で自然に取れ、吐き出してみると、レバーをミンチ状にしたような小さな血の塊。それからまたうがいをして、歯茎を舌で触ってみると、ようやく何もなくなっているのを感じた。それ以来は、まったく出血はしていない。

 

夫が突然白血病と宣告されて入院する日の前夜、2階の洗面所で夜中に嘔吐する様子があった。私はあえて2階には上がらなかったが、とても心配になり、翌朝は早起きした。

「パパ、今日はどこか違う病院に行ってみる?」

そしていったん夫は会社に顔を出し、それからすぐに病院に向かった。私はゴミ出しをしてから同じ会社に行こうとした。すると、真っ赤な血のついたマスクを発見。え、まさかゆうべ吐いていたのは血? 2階の洗面所を見ると、少し血の跡があった。

 

大急ぎで会社に行き、必要最低限の業務を済ませて、夫がいる病院に向かった。

「パパ、もしかして吐血した?」

うなずく夫に、「いつから?」

「一昨日から。」と答える夫に、

「え、どうしてすぐに言ってくれなかったの?」 

夫はただただ、悲しそうな表情を向けるだけだった。

 

そんな経緯の記憶もあるから、恐らく余計に焦ったのだと思う。数日前にかなり久しぶりに歯医者に行ったが、虫歯はなく歯周病の治療をしていきましょうと言われ、歯石を取るなどのクリーニングをしたばかりだ。かつて、治療後にこのようなことが起きたことはない。

 

止血したあとは、久しぶりにひどいめまいに襲われ、めまい用の薬を飲み床につく。娘も自宅に到着し、まずは一緒に朝ごはんを食べる。そのあとは二人とも眠くなり、お昼すぎまで眠ってしまう。

 

それから、次男の授業の予定を確認し、今晩だけは自宅に戻り泊まってもらうことにした。夕飯は二人で、鶏そぼろ丼やお味噌汁を作ってもらう。最後に、お姉ちゃんが弟に、得意のだし巻き卵の作り方を丁寧に教える。なんでも、3回に分けて卵を銅製の卵焼き器に流すとき、純粋に1/3ずつではなく、5、4、3という感じで量を減らして行くと、最後がうまく巻きやすいそうだ。私はフライ返しを使わないとうまく巻けないが、娘は器用に菜箸だけでくるくると巻いて行く。高校生のときにお弁当用にと、入試当日にいたるまで毎朝焼き続けただし巻き卵は、ふわふわで本当に美味しい。

 

多めに作った鶏そぼろと卵焼きを数切れ、旦那さまに持ち帰る。今日は彼まで私のことを心配してくれ、改めて優しい人なんだなあと感じた。

 

また、長男も仕事が終わってすぐに電話をくれ、「どうかした?」と聞いてくれて事情を話す。すると、私のことをとても心配してくれた。

 

また近いうちに歯医者に行くので、よくよく診てもらおうと思う。

 

今日は子供たちのありがたみを感じた、ある意味とても幸せな一日となった。

 

 

再びの孤独感

春休みまるまる2か月間、ほとんど毎日のように教習所に通い、次男は無事に自動車運転免許を取得した。そして再び大学近くのアパートへと戻って行った。

 

この春休み、振り返ると本当に楽しかった。受験の心配もいらない、きょうだい喧嘩の心配もいらない、こんな穏やかな長期休暇がかつてあっただろうか。

 

そして今わたしは、再びひとりの生活へと戻った。そのギャップは激しく、なんだか昨年の秋に初めてひとり暮らしが始まった頃以上に、元気もやる気も食欲も出ない。これで何か仕事でもこなせればいいのだが、今のご時世、マスクが不要な仕事なんてないだろう。在宅でできるような仕事でさえ、最初の1週間だけは都内でマスクをつけながら研修を受ける必要があるという。パニック障害を持っていない人も長時間マスクをつけるのは苦しいという。しかし、こちらはマスクのために、せっかく元気でいられた身体が倒れるかどうかの瀬戸際に追い込まれ、下手をすると電車を止めたり、救急搬送されかねない有様なのだ。

 

そんな中、現在は娘が来年挙げる予定の結婚式場を検討中だ。なんでも、昨年本来なら挙式予定だったカップルが、来年に延期しようというケースが多いらしく、例年では珍しいほど、来年の土日祝がほとんど予約で埋まりかけている状態だそうだ。どうも仮予約というのはできないところが多く、ブライダルフェア、または個別相談に行った当日中に成約をすれば、延期や人数の変更は自由にでき、また数十万ものお勉強をしてくださるという。ただし、あくまでその特典は当日限定。

 

先日は娘の休みである平日に、私と一緒に試食つき個別相談にとある式場を訪れた。そこは、私が若い頃に友人やいとこにお呼ばれした中で、一番印象に残った式場だった。

 

あくまで試しに行ってみるつもりだったが、思いの他、こだわり屋の娘が気に入ってくれた。娘の場合、私などはあまり気がつかない点もくまなく観察する。たとえば、シャンデリアの豪華さ、絨緞の柄、チャペルの雰囲気。食事に関しては、どこもそんなにまずいところはない、ある程度は美味しくて当たり前という感覚らしい。しかし、試食にいただいたワンプレートとデザートは、想像を超える美味しさと意外性があり、好評だった。

 

その日は仕事のため、彼の方は同席していない。よく、細かいことは彼女の方に任せるという新郎も多いだろう。そんな中、コーディネーターさんに聞かれて娘は答えた。

「私よりもっとストライクゾーンは厳しいかな。」

そう、娘も何かとこだわりが強い方だが、相方はさらにこだわりがある人なのだ。まず、玄関に入ったときの第一印象で、どうかが決まるらしい。

 

というわけで、また別の日に彼ひとりで訪問してもらい、彼が納得すれば、私も娘も良いと思った場所なので、その場で成約することになった。今どきはどこも、内金は20万円だ。

 

来年の挙式日や場所が決まれば、とりあえずはホッとできる。

 

子供たちがそれぞれに巣立ち、自立して行くのは、本来は頼もしいことだ。しかし、人間というのはないものねだりをする生きもののようだ。夫亡きあと、あれほど欲しいと思った、ひとりで過ごせる自由な時間。今は山のようにあるというのに、いっこうに気は晴れない。

 

本当に気がふさいでしまうと、誰かと話そうとか、こうやって何か書こうとすら、する気になれなくなる。

 

若い頃の自分とは、まるで人格が変わったかのようだ。ひとりで海外を旅し、ひとりでシェイクスピアの芝居を観に行き、満員電車の中往復2時間40分もの通勤をこなし、英語でのミュージカルやお芝居の舞台にすら立てた自分。

 

そんな、どんな環境にでも馴染める日々が、再び訪れることは果たしてあるのだろうか。

 

それはまだ、今は誰にもわからない。

 

 

 

 

娘の結婚

今、感無量です。

 

ついに、愛娘が入籍しました!!

 

パパが生きていたら、なんと思ったんだろう。

 

パパが亡くなって最初の数年。

まだまだ先の話なのに、中学生にすらまだなっていないのにもかかわらず、何度も何度も頭の中で反芻してはむせび泣いたことがあった。

 

それは、、、

結婚式、どうするの?

だった。

 

よくある両親への花束贈呈。

これ、私の隣りに本来ならいるはずの夫がいないなんて。

 

耐えられない。

その日を迎えるまでには、逃げ出そう。

 

いや、両親ともいなかったら、挙式はどうなる?

せめて子供たち全員が無事に結婚するまでは、生きていないと。

 

そんなことを、本気で葛藤する日々だった。

 

そしていつの間にか、部活動や少年団の応援やお手伝いに追われ、何年もほぼ連続であった、三人の子供たち誰かの受験のサポートに明け暮れる日々。

 

昨年の春、末っ子の東京大学合格でようやく子育てに一区切りがついたというのに、世の中はコロナ。私はパニック障害でマスクを長時間つけられず。秘かに夢見たニ度目の海外留学も叶わず。

 

それでも、娘の結婚は、何よりもめでたい。

 

ありがとう。しっかりと自分で、一番ふさわしいひとを見つけてくれて。

 

お母さんは、娘の自由意思による選択眼を心から信頼しています。

 

自分で産み育てた子を信頼し、誇りに思えないなんて、愚かだよね。なぜってそれは、結局は自分のこれまでの全人生を否定しているようなものだから。

 

少なくとも、私はそう思う。

 

苗字は変わっても、これからもずっと、お母さんはあなたの味方だよ。

 

頑張れ! ワーキングワイフ。

 

Happy Wedding !!

 

二人で末永く、幸多からんことを。

 

2021年 春

 

 

 

明日で東大合格発表から一年

現在自動車教習所に通う次男は、先日無事に仮免を取れ、路上教習も始まった。仮免の学科試験で満点を取ると、500円のクオカードをもらえるらしい。500円で思い出すのは、息子が浪人時代にお世話になった予備校だ。確か、東大模試で好成績を出したときに、一度だけ500円の図書カードをいただいた。彼は、文系において校舎内2位くらいの位置にいながらも最下位のクラスに一年間所属していた。当時は本人もそれに納得が行かず、この500円で我慢してくれとでも言いたいのか?などと悪づいていた。最終的には、むしろその予備校のおかげで、余計なプライドをなくせたかもしれないので感謝しよう、とも話していたが。

 

明日は、いよいよ東京大学の合格発表。今年も掲示板発表は控えるようだが、今のところ入学式は挙行する予定だそうだ。大学によっては、昨年入学式に出席できなかった新二年生も一緒に、来月行なわれる入学式に参加させるところもあると聞き、羨ましいなと呟いていた。

 

私の方は、春休みに入り次男が帰省してからというもの、実に楽しい時間を過ごしている。息子に勧められて見始め、思わず今更ながらにハマってしまった「進撃の巨人」。現在はNHKでファイナルシーズンの一部を放送しており、今月末でいったん終了とのこと。続編がまた楽しみだ。ファイナルシーズンでは制作会社が変更になったため、作画がどうしても異なる。息子に言わせれば、むしろ原作により近いそうだ。以前の制作会社では、地元出身の有名な方が作画に携わっており、今年成人式を迎えた息子たちの代に向けて、描き下ろしの原画を贈ってくださった。

 

話しは変わるが、受験が終わったあとに次男が後輩たちに向けて書いたものの中に、受験の総括という文脈がある。今年の受験生、または次の代の受験生に向けて、少しでも参考になるならばと一部抜粋して記しておこう。

 

「自分はなんだかんだ二回目で合格しましたが、二回とも落ちた世界線もあり得る話です。最終的には入試はやはり若干の運が絡みます。受験の合否は当人にとってはひじょうに重くのしかかることではありますが、受験に至るプロセスがしっかりしていれば合否にかかわらず大きなものを得たことになります。結果は結果であって、個人の能力形成に直結しません。もし受かっても、それだけで頂点に立った気分にならないでください。もし落ちても、それだけで人生終わったとか思わないでください。結局は自分が何をやるかです。」

 

まだまだ入試が続く方へ。

 

「最後まで諦めずにがんばってください!! 体調にだけは気をつけて。」

 

「かわいそう」などという言葉では済まされない

次男は今、自動車運転免許の取得のために帰省して、地元の教習所に通っている。

 

先日、結局受験が終わってから丸一年が経とうとしている今でも、時折、喉の閉塞感(いわゆるヒステリー球のようなもの)があることがわかった。

 

ストレスが一番の原因だとして、いったい何が一番のストレスになっているか。もちろん、教習所に通い始め、慣れない車の運転を習い出したことも多少の緊張はあるだろう。だが、それもいつかは卒業する。

 

それよりも、やはり息子にとって、来年度も再びオンライン中心の授業体制になることは、耐え難いようだ。

 

どうも、友人の話や、さまざまな大学のホームページを見てみると、新年度はさすがに主に対面授業を行えるように計画している大学が多いようだ。そんな中、東京大学前期教養学部は今のところ、第二外国語と体育の授業を隔週から毎週に増やすこと以外は、すべてオンラインで授業を行う予定だ。理系の実験などは別だと思うが、息子は文系なのでそれについて主に記すことになる。

 

早稲田では、ひとつの授業の人数制限があり、人気のある授業は一次選抜、二次選抜とあり、必ずしも取りたい授業を取れない可能性もあった。しかし、東大では基本的に取りたい授業はすべて履修できるようで、中には千人を超える人気授業もある。通常なら、立ち見で授業を受けるようだ。

 

東京都も以前よりはコロナの新規罹患者が減少傾向にあるとは言え、まだまだ油断はできないだろう。しかし、高校までの学校が通常再開している中、昨年は大学だけが取り残されたようにオンラインを強いられていた。せめて、全国、あるいは地域ごとに、指針を統一できないものかと思う。

 

東大は、どうしてもご高齢の教授の方も多い。学生から感染することを恐れるなというのも無理があるだろう。教務課の方でも、ここでクラスターを出すわけにはいかないという思いもあるだろう。

 

しかし、緊急事態宣言下の中で必要に迫られて東京を歩くとき、ランチ時の飲食店でもデパートでも、ごく普通に密の環境は多く見られた。

 

それらを完全に規制することが難しいなら、どうして大学だけが封鎖に近い状態でいないといけないのだろうか。

 

憧れて、求めて、2年かけてようやくつかんだ夢の大学。仲間と直接関われないまま、画面越しに教授のお顔を拝見しても、やはり物足りない何かはあるのだろう。もちろん、大学側、教授側のご苦労は想像を絶するものだと思う。中には、スマホもよくわからない方がオンラインに対応するのだからたいへんだ。

 

来年度は、学生のためにもぜひなんとか

もう少し対面授業が増えないかと、切に願わざるを得ない。

 

大学生の4年間。

本来なら、人生でもっとも楽しい時期のはずである。その裏付けに、たくさんの切磋琢磨できる仲間がいたことは間違いない。

 

まずは今年、せめて昨年よりはコロナも落ち着き、ワクチンの安全性と有効性が確保されますよう。

 

国立大学前期試験まであと4日となりました。どうか受験生とご家族の皆さんに、桜が咲きますように!!

 

 

さまざまな料理に挑戦した次男

長男については、以前のブログでも書いた記憶がある。彼はすでに、小学生の頃から父親が台所に立つ背中を見て育ち、口頭で教わらずとも目で見て自然と料理の技を覚えたようだ。また、舌も肥えていて、同じ人が作ったものでも微妙な差に気づくことができる。たとえば実家で私の母がよく作るほうれん草の胡麻和え。いつもは炒ったごまをすり鉢でするが、あるときたまたま、行きつけのお米屋さんで擦りたてと書いたごまを購入してきたことがあった。それを使いごま和えにすると、長男が言った。

「おばあちゃん、なんかこれ、いつもと味が違うよ。少し脂っこい気がする。いつもの方が美味しいよ。」

これには母も驚いた。

「○○くん、よくわかったねえ。舌が鋭いんだわ。」

そのとき長男はまだ、小学校高学年だった。

 

お兄ちゃんほど早くはなかったが、次男も昨秋からひとり暮らしを始めて、さまざまな料理に挑戦したようだ。

 

フライパンで揚げる、とんかつ、鶏の唐揚げ。また、豚バラ肉と大根の煮物。

 

あれ、大根の皮の剥き方、教えたっけ? 皮むき器がないから、包丁で剥く必要があったでしょ?

 

と私が聞くと、レシピでは皮ごと大根を使うやり方だったらしく、絶品だったらしい。

 

今宵は久しぶりにトマト鍋にした。新婚時代から使い続けた土鍋はあちこち欠けていたのですでに処分した。買い物嫌いの私のこと、まだ新しい土鍋は用意していない。仕方ないから、今日は代わりに蒸し器用の大きい鍋を使う。ほうれん草、えのき茸、トマト、大根、鶏もも肉、真だら。本当はキャベツも足す予定だったが、二人なので、明日に回すことにした。だしは市販のものを使ったが、久しぶりに一緒に囲んだ鍋は熱々で実に美味しかった。

 

次男が蒸し器の鍋を見て言った。

「この鍋、お父さんがよくみんなの分のラーメンをまとめて作っていたよね。」

 

そう、まさにその通りだ。ほとんど父親の記憶がないというなか、よく覚えているではないか。

 

知人の息子さんでひとり暮らしをされている方の話を聞くと、改めて、やっぱり男子の皆が皆きちんと自炊するわけではないんだなとつくづく思う。比較的近い場合は、週末に帰省したときに、母親が作り置きしておいたものを何パックも持ち帰るとか。また、遠方の場合は母親が作ったものを冷凍にして送るとか。そんな状態では、とても自立しているとは言えないと思う。

 

ただ、私の父がお湯も沸かせないように、やはり育った環境の影響は大きいのだと思う。たとえ短い年月だったとはいえ、我が家でお父さんが台所に当たり前のように立ち、和食から洋食、麺料理からスイーツに至るまで、ひとり暮らしの経験もないなか、一生懸命子供や妻の笑顔がただただ見たい一心で作り続けてくれた日々。その姿や、実際に食した親父の味は、子供たちの一生の心の宝物として存在し続けることだろう。

 

もし家の中で、母親の私だけが料理をしていたら、今頃二人の息子たちがこんなに料理をしていただろうか。

 

自分で買い出しもすると、食材の価格、どのくらい日持ちするか、自炊したときとお惣菜ではどれくらい金額が変わるか、などなど、私も驚くほど知識が増えたようだ。

 

今の時代は共働きも増えた。夫婦共に自立して、いろいろな家事もできれば、理想的だろう。

 

今宵は改めて、立派な父親像を見せてくれた夫に感謝して、床につくとしよう。

 

 

ひとり暮らし最終日

以前ブログにも記したように、次男は東大の秋学期から始まる対面授業やサークル活動をこなすため、大学近くのアパートで初めてのひとり暮らしをスタートした。

 

それ以来これまでおよそ4か月ほどの期間を、母親の私自身にとっても初となるひとり暮らしを続けてきた。

 

そして、いよいよ明日から春休みに入った息子が、自動車学校に通うために帰省する。うまく行けば、ギリギリで春休み中に免許を取得できるかもしれない。だが、今は全国的に教習所が混み合っているようで、乗り越しや検定での不合格などがあると、4月中もまだ通う必要があるだろう。

 

まだ、最終的な成績は出ていないが、息子はこの一年でおよそ60単位は取得できたかもしれないようだ。一般の文系私立大学と比べるとかなり多い単位数になるが、東大の場合は一年生でこれくらい取るのは普通のようだ。何しろ、最終的に取得が必要な単位数が、私立大学よりもかなり多いからだ。

 

彼によると、友人で浪人して入学した学生はほとんどが80点を超えるほどの成績は取れていて、皆かなりがんばっているそうだ。合格したときの点数と、入学したあとの成績に相関関係はないと言われるが、確かにその通りのようで、かなり高い点数で合格したひとでも、入学後はほどほどに勉強することもあり、決して好成績とは限らないらしい。

 

春休みもせっかくだから何か勉強したいらしく、一緒にTOEICを勉強しないかと提案してきた。私の場合、TOEICは旧形式で一度、新形式で一度だけ受けた経験がある。一回目は過去問を一度も見ることなく、まったく準備せずに受けて730点。二回目は少しだけ学校に通い対策をして、745点。それもリスニングが405点のリーディングが340点という、ほぼ聞く方で稼いでいるようなものだ。英文の速読がなかなかできずに、新形式になり文章量も増え、解く時間が足りなかった。

 

ただ、なんとなく解いていて面白い試験ではないなと感じた。この内容では、以前通った学校に、ある企業からTOEIC800点を超える学生が仕事において英語がまったく使いものにならないから、研修を一括で託されるのも無理はないかと思った。要はきちんとしたビジネス英語ができなくても偏差値方式で点数が出るので、それなりに対処すれば高得点も取れてしまうのだと思う。

 

私の若い頃はあまりメジャーではなかったTOEIC。受検料は日本からアメリカに流れる形なので、あちらとしてはより多くの日本人に受けてほしいところだろう。まあ、実際には資格や点数というよりは、やはり実績が大事だ。仕事の場面では、ネイティブの英語以上に、さまざまな国のひとが話すそれぞれ癖のある英語も聞き取れないと話にならないし、その業界ごとに必須となる単語があり、決して難解な用語が必要とは限らない。

 

いずれにせよ、今の自分が受けるには、長時間マスク必須となるとかなり厳しいので、趣味も兼ねる気持ちで息子と一緒に勉強しても楽しいかもしれない。彼も受験英語を忘れないうちに一度は受けてみるといいだろう。

 

そして無事に運転免許を取得し、息子が再びアパートに戻ったあとは、私はしばらく実家に住み込もうと思っている。というのも、先月あたりから母が脊柱に6か所も圧迫骨折をし、ほぼ家事ができない状態だからだ。父は買い物を手伝うくらいはできるが、洗濯も料理もまったくやらずにこれまで来ている。急に覚えるのは難しい。離れていると、何度か手伝いに行こうと思うが、そのたびに体調が悪くなったりして、ほとんど何もできずにいた。幸い、今は妹の方が元気で時間もあるので、時々手伝いに来ているようだ。

 

ただ、考えてみると両親もそれなりに高齢になってきて、自ら施設などに入る気はさらさらないので、やはり少しは私も面倒を見なければと思う。

 

ひとりで暮らしていると、何より食事がいい加減になりがちだ。せっかく作っても何日も同じものを食べることになり、次第にスーパーに行く回数も減り、市販のもので済ませる日も増えて行った。このままでは身体にもよくないと思う。やはり誰かと一緒に作ったものをいただく方が、心身の健康に良いだろう。

 

多少のストレスは覚悟の上で、少しは親孝行もしようと思う。

 

というわけで、次に再びひとり暮らしになるのがいつかはわからないが、今夜を最後にしばらくの期間は、家族の誰かと暮らすことになる。

 

娘の方もとうとう婚約者と同居を始め、来月にも入籍予定だ。親としても、女の子が都会でひとり暮らしをするよりは、男のひとが一緒にいてくれる方がはるかに安心だ。これで少しは肩の荷が下りたような気がする。

 

さて、そろそろ眠くなってきた。今宵は早めに休むとしよう。

 

皆さま、おやすみなさい。