終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

「ドラゴン桜2」は心臓に悪い

先程、今日の「ドラゴン桜2」を見終えた。

 

うーむ、やはりこのドラマは今の私には心臓に悪いかもしれない。いや、内容としては十分面白いし、見応えはある。

 

だが、もう約1年半近く経とうとしているのに、次男の浪人当時のことをリアルに思い出すのだ。

 

今日、ドラマの中のセリフでひとつ、なるほどと思ったことがある。先生と生徒で、バスケットボールのフリースロー対決をしたときのことだ。最初は生徒が優勢だったが、結果的には先生が勝つ。その理由を先生はこう説明した。「お前は最初優勢だったから、このまま行けば勝てると思った。ところが、5本目を外したときから、残り4本はすべて外せないと思ったはずだ。そこから焦りが芽生えた。俺は最初から、6割入ればいいと思ってやった。だから4本は外しても全然焦らなかった。完璧を求めてはいけない。必要な点数を取れればいいんだ。」

 

このセリフを聞いて、次男の数学に対する姿勢を思い出した。彼にとって、当時のセンター試験の数学は、決して難しいものではなかった。時間は厳しいところもあるが、彼の計算速度はとにかく速い。よく出る計算式などは、すでに答えを暗記しているほどだ。それゆえ、模擬試験や、自宅で時間を測り落ち着いて解く場合は、2科目ともたいてい満点だった。ゆえに、本番でも当たり前のようにそれを目指す。だから、もしたとえ100点満点中90点台でも、彼としては納得がいかないのだ。

 

東大の二次試験にしてもそうだ。駿台の模試などで80点満点を数学で出したり、他の模試で満点までは行かなくても偏差値で70を切ることはほぼなかった。なので、本番の数学の目標も60/80点以上は目指していたはずだ。しかし、必ずしも本番で、一番得意な分野が出題されるとは限らない。

 

予備校のチューターさんが、数学はギャンブル性の高い科目という表現をされたときは正直驚いた。仮にも受験勉強をする内容に、ギャンブル性があるなどとは思いもよらなかったのだ。実際、東大の試験の中でも、数学が易化した年度には、数学がふだんなら苦手な生徒も高得点を取れていたりする。

 

改めて、当時のさまざまなことを思い出し、震えが来そうになった。

 

これまでの東大での授業の感想はというと、やはり文系向けに行なわれる数学の授業は、かなり簡単に思えるようだ。たとえば、同じ線形代数でも、理系向けの授業の方はかなり難易度が上がるようだ。

 

今年の夏には、まずは学部の一次選抜があるだろう。経済学部までは決めているが、どの学科を希望しているのかは、今のところじっくり話をまだ聞いていない。せめて、3年生で行われるゼミくらいは、対面式で受けられれば良いと思うが、どうなるか。

 

春学期の定期試験が終わったら、引っ越しの準備をし、8月中には完全に自宅に戻ることに決まった。1年間のひとり暮らしの経験は、実に貴重な体験だったと思う。まめに自炊していたおかげで、食費を含めたお小遣い分が、毎月4万以内で抑えられたのは、感心すべき点だろう。家計簿をつけていないのに、ほとんどの食材の値段は覚えてしまった。なぜか、都内のスーパーは、地元よりも安いようだ。

 

次男が帰省すれば、私もこのいい加減な食生活からは抜け出せそうだ。

 

本日は父の日であった。娘夫婦で初めて主人のお墓参りに来てくれ、とても嬉しかった。そして、主人の実家にも挨拶に行き、とても喜んでもらえた。慌ててネットで注文したマスクメロンが、ちょうど良い食べ頃で本日届いたようで、みんなで堪能することもできた。「パパが二人の姿を見られたらなあ。」と義父がつぶやくと、娘の目から涙がこぼれた。

 

80代になる義父母には、できればひ孫の顔を見られるくらい、まだまだ長生きしてほしいと心から願わざるを得ない。

 

かなり久しぶりに訪れた夫の実家は、以前と変わらぬ、温かく優しい雰囲気に包まれていた。

 

 

「ドラゴン桜2」を見て

前回の記事を書いてから、だいぶ時間が空いてしまった。

 

結局、当分個室は空かないため、入院こそしなかったものの、毎日寝込んでいたわけでも、また毎日調子が良かったわけでもない。体調が悪い日も多い中、合間を縫って娘のウエディングドレス選びに奔走していたのだ。それについては書きたいことも山ほどあるが、それはまた別の機会としよう。

 

今日は数日ぶりに自宅に戻り、録画しておいた「ドラゴン桜2」を見た。ちょうど、受験生が初めて東大模試を受ける回だった。自分自身が受験したわけでもないが、ついつい次男の時のことを思い出し、見ているこちらまで緊張した。結果が出て、教師が判定について説明をする。この時期、受験生の50%はE判定。わずか8%がA判定だという。また、ドラマの中のセリフでは、難関校のトップクラスの生徒でも、この時期のA判定は簡単ではないと言う。教師がさらに説明する。E判定の合格率は20%。つまり、100回東大を受けたら20回は受かるということだ、と。逆にA判定のひとは、単純計算では100回受けたら20回は落ちてもおかしくないということか。

 

あの、息子の現役時代、東進、河合、駿台の計6回の東大模試のすべてが、A判定の中でも比較的上の方。それが見事に、親子ともに本番も体調さえ崩さなければ大丈夫だろうという、妙な安心感に繋がってしまったことは間違いない。

そして、残酷にも予想とは正反対の結果が出る。いくら、惜しい方の結果だとしても、不合格には変わりない。

 

あれから、はや2年以上の月日が流れた。よく、あの挫折を乗り越えてくれたと思う。

 

息子は、中学受験のときに選んだ学校1校と、現役浪人を通じて実際に受験をしたのは、結果的にセンター試験と、東大の二次試験のみだ。もともと、面倒くさがりのところもあり、必要以上に多くは受けたがらない。

 

今年の春学期の授業は、週になんと6コマしかなく、最近になり新たに個別講師のアルバイトを始めた。また、オンラインでも、リアルな場所でも、東大生の友人と時々麻雀(賭けたりはせず)を嗜んでいるようだ。聞いた話では、イギリスの貴族などは、子供に幼い頃から賭け事を学ばせるという。それは、将来ビジネスでの駆け引きに欠かせない勘を養うためだそうだ。日本ではちょっと考えられないことだろう。

 

息子によると、将棋は本当に実力がないと勝てないけれど、麻雀は運もあり、まれに強い相手に勝てることもあるという。

 

秋学期以降は、多少専門分野の授業も入って来るのか、この2年の春学期だけは、文2生にとって唯一少し落ち着ける時期なのだろう。

 

高校受験をしていない彼は、アルバイトの試験で、高校数学の入試問題が一番難しかったと言っていた。息子の苦手な図形問題が多く出たらしい。

 

今まで経験したことのないアルバイトを始めるのは、新鮮なようだ。

 

さて、もう夜も更けた。そろそろ床につくとしよう。

 

そういえば先月、長男が自ら会社を半日有休を取り、私が入院するかもしれない病院に付き添ってくれたことは、本当に嬉しかった。ふだんはなかなかまめに連絡も取らないが、いざというときは頼りになる。それがわかっただけでも、だいぶ心強かった。本当に、ありがとう。

 

入院をすすめられる

なかなか、ブログを書けずにいた。

 

ここ最近の自分は本当におかしい。これまでもストレスによるさまざまな身体症状はあったが、今回のような事例はなかった。

 

まず、情けないことにもはや、心情的にひとりで暮らすことが困難な状況となって来ているのだ。高齢者になっているわけでもないというのにだ。

 

4月に次男がアパートに戻り、再びひとり暮らしに戻ってからというもの、いったい何度緊急で三人の子供たちを呼び出したり、ふだんなら極力頼らないようにしている両親にまで電話をかけたことだろうか。それも毎回、救急車を呼ぶべきか、いったん様子を見るべきか、真剣に迷いながらだ。

 

4月の出血は歯茎からのもので、一度きりだ。

 

しかし、5月に入り、睡眠薬も効かない不眠、季節の変わり目によくある浮動性めまいが頻繁に出始めた。これらの症状なら、以前にも経験はある。

 

ところが、ついに、今まで一度も起きたことのない、回転性めまいが突然現れ、3日連続で起きたのだ。内一回は、まともに立ち上がることも歩くことも困難なため、救急車を呼んでもらった。

 

脳のCTも異常なし。念のために耳鼻咽喉科も受診するが、耳石なし、眼振なし、聴力良好、いわゆる耳鼻科的にはメニエールなどのいくつかの耳から来る病気のどれにも当てはまらないと。

 

救急車で運ばれた翌日にも再び回転性めまいが起きたときは、次男と、初めて出勤日に仕事を休んでもらい駆けつけてもらった娘に付き添われながら、なんとか車に乗り込み病院に連れて行ってもらう。そこでまた、点滴治療をする際に医師に言われたのだ。

「もう、いっそのこと入院しますか? 脳に異変はないから緊急性はないけれど。あなたもこうやって毎日ぐるぐるめまいが起きると、病院に来るのもたいへんだし、入院すれば移動せずに毎日点滴ができるからね。まあ、1〜2週間というところかな。」

 

よくよく話を聞いてみると、現在は少数だが別病棟にてコロナ患者も受け入れているらしい。入院時と退院時に、それぞれ2回ずつPCR検査をする。個室は空きがあれば入れるが、なければ相部屋になる。過去の経験上、めまいと、橈骨遠位端骨折の時に入院した際、まず相部屋では熟睡できない。個室でも、近くの部屋の患者さんが夜中に奇声を上げるケースもやはり眠れない。睡眠薬を使用しても眠れない場合、当然日中は体調が悪くなる。個人的には、いくらか割高になろうとも、感染リスク等も含めて考えれば、個室なら入院してみようかなと。

 

火曜日あたりにいつものかかりつけ医に相談し、それによっては以後2週間程度を目安に入院するかもしれない。

 

そして、肝心なのは退院後だ。数年前にめまいで入院したときは、退院後家庭内でのストレスから、再び救急車に乗るはめになる。しかも、当時はストレスがマックスになり、私は一時的に声が全く出なくなった。救急で運ばれた担当医は、ひどい医師だった。どうも、口が聞けない患者を障害者と同じようなものだと思ったのか、点滴が終わると私の腕を結構な力で叩いたのだ。夫が目の前でそれを見たら、医師に威嚇したか、「友人の弁護士に話して訴えるぞ。」くらいのことは言い放ってくれたに違いない。黙って大人しくその様子を見ていた父は、医師にこう言われた。「救急とは本来命に関わるような重病人が来るところですから。これ以上、この病院に来ても、本人の病院への依存を強めるだけです。うちではなくて、心療内科に急いで連れて行ってください!」

 

これが、仮にも日本赤十字病院に勤務する医師の言うことか。と、そのときはつくづく呆れた。以前、めまい専門医の著書で読んだことがあるが、特に5〜6月、日本全国でめまいを起こし、救急搬送されるケースは多数ある。それは、私のようなめまいだけではなく、脳疾患でめまいを起こし、一歩間違えれば命に関わる緊急の場合もあるからだ。CTで検査をしない限り、素人にどう緊急性の有無が判断できるというのだろう。

 

それ以来私は、めったなことでは救急車には乗らないようにした。好きで失声を起こしてはいないのに、言葉をまともに話せないだけで、虐待の対象にすらされかねない。弱者の立場に立てないような人格のひとには、本当に医師にはなってほしくないと思う。

 

また後日、体調の良い日に、続きを書こうと思う。

 

 

 

もうひとつの結婚記念日

あれは、忘れたくても決して忘れることはない、今から29年前の出来事だ。

 

「花嫁さん、もっと笑ってください。」

カメラマンが言う。

「僕と結婚するのが嬉しくないの?」

当時、私の横にいた人が言う。

笑顔というのはきっと、心の底から自然と湧き出るものだ。どんなに作り笑いをしようと、プロのカメラマンにはわかってしまうものなのかもしれない。

 

あの日、私はいったいどんな覚悟を持って式に臨んだのか。思うに誰しも、これからチャペルで永遠の誓いをしようとするときに、「きっといつかは、離婚するだろうな。」などとは夢にも思わずに式に出るはずだ。もちろん、自分もそうだった。心のどこかで、何もかも白紙にできたら。どんなに本音ではそう叫んでいても、なかなか結婚式をドタキャンできる勇気のある人ばかりではないだろう。

 

今、振り返ると、すぐに赤ちゃんを望むことだけは否定した。それは相手の心を傷つけたけれど、やはりそれだけは死守して本当に良かったと思う。私の性格上、子供を抱えての離婚は決してできなかったろうと思うのだ。

 

当時の私は、離婚がまるで犯罪かのような感覚でいて、こっそり「バツイチの女たち」みたいなタイトルの本を数冊買いながらも、実際に決心することは容易にできずにいた。あの頃は、毎日相方と喧嘩をし、日中会社にフルタイムで出勤する時間だけが、唯一オアシスのようだった。涙で目を腫らし、午前中半日有給休暇を取りながら、会社近くのカフェで、一生懸命泣き止むのに時間を潰した日さえあった。

 

のちに知ったが、家庭で支配や虐待を受けて育った人は、成人して異性と交際したときに、相手がおかしな行動や言動をしても、おかしいことに気づかなかったり、あるいは気づいたとしてもひたすら我慢してしまう傾向にあるという。今振り返ると、まさに自分がそうだったと思う。

「これからの自分の人生の使命は、いかに自分の母親を幸せにしてあげられるか。これに尽きるから、そのことはあなたもよく覚えておいて。」

50代後半に夫をがんで亡くした姑とその息子は、まるで一卵性親子のような絆で結ばれていたのだ。

果たして、3人での暮らしは惨憺たるものであった。わずか8か月の同居だったが、私には限界を超える長い長い年月に思えた。

 

これらの経験は、お見合いで知り合った亡き主人はもちろん知っている。だが、子供たちには一生秘密にするつもりでいた。それは、前の相方に最後まで入籍をしてもらえなかったからだ。

 

しかし、ひょんなきっかけから、娘に話し、次男にも話し、最後は長男にも伝えた。子供たちの反応はそれぞれだったが、さすが今どきの子というべきか、こちらが予想したほど、驚くような反応はなかった。唯一、次男は言った。

「パパがその事実を承知の上でお母さんと結婚したのがすごいよ。」

 

そう、夫も夫の両親も、普通に受け入れてくれた。念のためにと、初顔合わせのときに父が、

「一度失敗してますが。」と言う。

「それについては、まったく気にしてませんから。」

即答したのだ。夫は。やはり、正直嬉しかったし、本当にありがたかった。

 

そのとき私は思った。いや、逆の立場だったら、こんなふうにすっきりと割り切れるだろうか。まだ自分は若く、結婚に困ってもいない年齢なのに、と。

 

ひとを、過去の経歴などで判断しない。

 

本当はまっとうなことであるが、なかなか若いうちから、そのように考えるのも難しいことだろう。いかに、ご両親が温かくまっすぐに、三人の子供たちを育ててきたかに尽きると思う。

 

もうすぐ母の日だ。

 

今年は白のアジサイを義母にプレゼントする。心から喜んでくださることに、改めてありがたいと、私の方こそ感謝の気持ちでいっぱいだ。夫のような素晴らしい人を、産み育ててくれてありがとう!!

 

 

たまには次男について書いてみよう

今のカテゴリーに所属していてどうしようかと思うのは、そもそも私自身が親として次男を東大に入学させるべくエリート教育をしたわけでもない。また、息子自身も幼い頃からガツガツと勉強ばかりをしていたわけでもない、からだろうか。あまり、参考になるような話しも特にはないのだ。それでもあえて、次男について振り返ってみるなら。

 

幼稚園の頃、お絵描き帳に好きに絵を描く時間があった。普通なら絵を描くところ、次男はノートにただただ、びっしりとクレヨンで数字を書いていた。実際、絵はあまり得意ではなかったようで、夏の季節に「海に行った思い出」として、海を描いたことがあった。先生が、どうして人は描かれてないの?と聞くと、溺れているからと答えたそうだ。本人はただ、人を描くのが面倒だったようだ。

 

年中さんで通い始めた珠算学校。先生がそろばんのはじき方を教えても、本人は先に暗算で答えを出して、辻褄が合うように答えをそろばんに置く。そのやり方はだめだと何度注意されてもやめない。手先があまり器用でないため、珠を細かく正確に弾くのが苦手だったようだ。普通は暗算するにも、頭の中にそろばんを置くか、空中でそろばんを弾くものだが、彼の場合はすべて頭の中だけで計算する。もちろんそういうやり方では限界があるから、姉は暗算二段まで取れたが、次男は暗算初段で終わった。

 

小学校時代は野球にハマり、少年団でハードな練習をこなしながら、いつの間にか甲子園やプロ野球の試合を見ながら、結果を予測するようになった。解説とほぼ同じことを、解説者が語る前に言うようになった。少年団を辞めたあとは、もっぱら野球やオリンピックのゲームにハマっていた。本気で勉強を始めたのは、小6の夏。いま思うと短期間の受験勉強でも勝算はあったのか。とにかく夢中になって、ゲームよりも面白いと言いながらほとんどの時間を勉強に当てていた。中学受験の経験のない私は、すべて本人に任せていた。確か、合格最低点の少し上くらいで合格したと思う。過去問については、一切やった記憶はないという。

 

中学に入ると、ちょうど勉強の面白さに気づいたばかりということで、とても張り切っていた。初めて受けた中間テストでは、学年で20番以内。意外と上の方なんだなと私は少し驚いた。だが本人は、この頃から絶対に一位を取りたいと強く願望するようになる。そして、中高6年間塾も家庭教師も通信講座もやらなかった彼にとっては、唯一張り切る場所が定期試験だった。いま思うと、毎回の定期試験だけは、常に本気モードで2週間前くらいから準備していた。しかし、授業はというと、眠りの○○と言われるほど、よく寝ていたらしい。何も言わずに休ませてくれる先生の授業は寝て、怒る先生の授業は起きていた。寝ていた授業は、テスト前に友達からノートを借り、代わりに数学を教えていた。よくまとめられたノートは、下手な授業よりもよほど頭に入る、などと言いながら。

 

模試については最初から良かったわけではない。高2のときの模試は東大C判定。高3に上がってから常にA判定を取るようになった。当時の本人は、「よくA判定でも落ちるひとがいると言うのは、Bに近いAのひとだよ。」などと言い、自分の実力と実際の入試において、乖離があるなどとは想像もしていなかったに違いない。

 

本番の入試については、本人の自己採点よりはかなり低い結果となったよう。やはり、高校の補講だけでは、予備校や塾のようにリアルな情報を得にくい状況だったのではないか。

 

東大以外受験していないので、必然的に浪人生となる。彼にとっては予想していなかった展開で、しばらくの間はやる気をなくし、全国模試で一位を取ろうと少しも嬉しそうではなかった。夏頃からは再びやる気を出したように見えたが、一番心配したのは本番が近づいてきた初冬の頃。心因性のストレスから不定愁訴のような症状が出始め、無事に本番をこなせるのか心配になった。現役のときの、のんきな状態のときに合格していれば、とさえ感じた。しかし、入試には適度な緊張感も必要なわけで、あまりにも余裕で臨んでもよくないのかもしれない。

 

合格できたときは、奇跡ではないかと思った。実力は十分だとしても、どう採点されるのかはまったくわからないからだ。

 

これから、オンライン中心の授業の中、どんな未来を目指して精進して行くのかはわからない。ただ、部活動を継続できなかった中高一貫校時代に比べて、アウトドア系のサークル活動において、さまざまな形で勉強になっているのはとても良かったと思う。

 

最後にまとめるとしたら、次男の場合、勉強法は自分で確立する。数学は公式を丸暗記することは間違いだと信じ、公式の成り立ちから理解をして、長時間考えても解けない場合以外は先生に聞いたりせずに自力で解く。地歴については、徹底的に教科書を重視する。英語はどうしたのか、よくわからない。

 

 

 

ここ数日の出来事

だんだん、この「大学受験終了組」というカテゴリーにいるのもおこがましいくらい、最近はつれづれなる毎日を綴るくらいしか、書くことも思いつかない。

 

本来なら、せっかく息子が東京大学に入学したのだから、何か親として書いてもいいのだろう。しかし不思議なもので、もちろん自分自身が合格できるはずもないのだが、我が子がいざ東大に入学してみると、たとえ天下の東京大学でも、よくよく考えてみたら日本国内にあるひとつの大学にすぎないように思える。極端に言えば、中学校のみを卒業していても、高卒でも専門学校卒でも、日本、あるいは海外の大学を卒業していようと、その先にどんな未来が待っているかは、人生をまっとうするまでは誰にもわからない。大学生のときに一生懸命勉強に励む者もいれば、学生時代はひとのノートを借りて要領よく単位を取得していたような人が、一流企業で40代から執行役員になっていたりもする。だが、たとえ昇進していようと、経済的に苦しい立場に追い込まれていようと、その人が果たして幸せかどうかは、また別の問題だ。

 

私自身は、ひとから「恵まれている」という言い方をされるのが幼い頃から嫌いだった。恵まれているという表現は、要は経済的にという意味であるが、果たして世の中の比較的裕福なひとが、毎日幸せで幸せで仕方ないと感じながら生活をしているだろうか。たとえば、以前お世話になったカナダ人の先生はこう言った。カナダ人は生きるために必要な分は働いているけど、仕事に命をかけて働くことはしないよ。金曜日は午後も早いうちから、週末に向けて早々に自宅に帰り、家族と過ごす時間を何よりも大切にする、と。おそらく、日本人ほどお金を稼ぐことに重きを置く人種は他にいるのだろうか。

 

先日、私が歯茎の腫れで出血したことはブログにも書いたが、あとで父が立ち寄り事情を話すとこう言った。

「血なんて吐いたってどうということはない。」

これが、例えば私から父に、

「がんなんて患ったところでどうということはない。」

などと発言したらどうなるだろうか。

 

実際、前立腺がんと腎臓がんにかかっている父は、私などよりもはるかに元気で、自転車に乗ったり、自彊術や習字を習ったり、母の代わりにスーパーの買い出しに行ったりと、具合の悪いところを目にしたことがないのだ。

 

手術や抗がん剤治療をしないと、こんなにも元気でいられるものなのか。

 

来月にはいよいよ、まずは父がコロナワクチンを2回接種する。インターネットのよくわからない父に代わり、私がスマホから予約をしてあげた。母の方は、開始5分で締め切りとなったため、また次回ということになる。

 

とまあ、とりとめのないことを綴り、せっかく訪問くださった方にも申し訳ない。

 

最後にせめて次男の近況報告でも少ししておこう。

 

一年生の大学での成績は、85点から90点未満くらい。これはおよそ学内でも上位10〜15%以内らしい。東大でよくある、シケプリ(試験対策のためのプリント)担当になった数学の科目は、本人はすべて予習で理解してしまったために、小テストしか受けていない。授業を聞かずに対策プリントを作成するのも面倒なため、質問があれば何でも聞いてくださいとしたらしい。そして数名からの質問対応で済んだようだ。その科目は定期試験はわりと難しかったようだが、相対評価のために「優上」を取れた。難しいが頑張ったフランス語もすべて優上(一般の大学でいうAA)を取れて終わった。

 

今はサークルの新歓活動でいろいろと忙しいらしく、先日久しぶりにアパートを訪れたときはすごい状態だった。お料理だけはがんばっているようだが、それ以外の荒れた様子をみて、やはりひとり暮らし経験も一年間で十分かと感じた。

 

いつ、以前のように全面対面授業となる日が訪れるのかはまったく予想できないが、本郷キャンパスの方がまだ自宅からは通いやすい。さすがに出費もかさんできたので、今年の夏休み中には完全に帰省してもらい、忘れないうちに車の運転練習に励んでもらおうと思う。

 

今朝は珍しく、誰もいない2階の窓をすべて開けて換気し、庭の草取りも頑張れた。換気は空気の入れ替えのためにするものだと思っていたが、実は家の中に良い気を入れるのに必要らしい。それも、なるべく午前中の方が良いそうだ。そのおかげか、今日は珍しく雨が降る前でも調子悪くはならずに済んだ。

 

前回はせっかく予約した鍼灸院を、めまいがひどくなりキャンセルした。次回行けるのは、緊急事態宣言明けになるか。

 

それまで、悪い気を吸う働きもあると聞いたサボテンを初めて購入しようかと思う。植物にはまったく詳しくないので、どなたかもしおすすめなどがあれば、ぜひ教えてください。よろしくお願いします!

 

 

 

 

長い一日

たとえ、前の晩に早くは寝つけなかったとしても、たいてい朝はわりと早く目が覚める。以前のように二度寝することはあまりない。

 

目覚めてから、その日のゴミ出しをするまでの時間、目に悪いと知りながらも私は、ここ最近よくスマホで無料漫画を読みふける。あまりに面白いと、ついつい課金してまで読むこともある。

 

本来なら小説などを読むのが好きだが、最近はなかなかせっかく買っても読み始めることができずにいる。

 

小説は、漫画と違い、絵の描写がない分想像力を膨らませることができる。 

 

それに比べて、漫画の場合はそれぞれの役柄になりきってセリフのように読み上げることもある。

 

そしてようやくゴミ出しを済ませると、朝ごはんだ。それにしてもひとりでいただく食事は味気なく感じるためか、少量しか入らない。次男が帰省していた時期に比べ、3キロほど体重も落ちたようだ。

 

以前ならここですぐに洗濯や洗い物に取りかかるところ、食後の歯磨きすら、ひと休みをしないとやる気が起きない。

 

そうこうするうちに、昼ごはんの時間も遅くなりがちだ。

 

ああ、いったい自分は何をやっているのだろう。昔から人前だと張り切れたことを思うと、見るひとがいないと、とことんだらけるということか。

 

ぼーっとできる時間や、テレビを見る暇もなかった時期は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。

 

来週あたりから、自律神経に効果のある鍼灸治療などを始めたいと考えているので、それが少しでも良い方向に向かえばと願う。

 

それにしても、ひとり暮らしでもそれなりに快適に過ごすには、外との繋がりは欠かせないと思う。それを持ちにくい環境下では、やはり誰か家族と一緒に暮らす方がはるかに健康的だ。

 

今のところは、次男の通うキャンパスが変わったら、自宅から通ってもらいたいと考えている。それまであと約10か月。精一杯自分の体調を改善することに神経を注ごうと思う。