終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

ここ数日の出来事

だんだん、この「大学受験終了組」というカテゴリーにいるのもおこがましいくらい、最近はつれづれなる毎日を綴るくらいしか、書くことも思いつかない。

 

本来なら、せっかく息子が東京大学に入学したのだから、何か親として書いてもいいのだろう。しかし不思議なもので、もちろん自分自身が合格できるはずもないのだが、我が子がいざ東大に入学してみると、たとえ天下の東京大学でも、よくよく考えてみたら日本国内にあるひとつの大学にすぎないように思える。極端に言えば、中学校のみを卒業していても、高卒でも専門学校卒でも、日本、あるいは海外の大学を卒業していようと、その先にどんな未来が待っているかは、人生をまっとうするまでは誰にもわからない。大学生のときに一生懸命勉強に励む者もいれば、学生時代はひとのノートを借りて要領よく単位を取得していたような人が、一流企業で40代から執行役員になっていたりもする。だが、たとえ昇進していようと、経済的に苦しい立場に追い込まれていようと、その人が果たして幸せかどうかは、また別の問題だ。

 

私自身は、ひとから「恵まれている」という言い方をされるのが幼い頃から嫌いだった。恵まれているという表現は、要は経済的にという意味であるが、果たして世の中の比較的裕福なひとが、毎日幸せで幸せで仕方ないと感じながら生活をしているだろうか。たとえば、以前お世話になったカナダ人の先生はこう言った。カナダ人は生きるために必要な分は働いているけど、仕事に命をかけて働くことはしないよ。金曜日は午後も早いうちから、週末に向けて早々に自宅に帰り、家族と過ごす時間を何よりも大切にする、と。おそらく、日本人ほどお金を稼ぐことに重きを置く人種は他にいるのだろうか。

 

先日、私が歯茎の腫れで出血したことはブログにも書いたが、あとで父が立ち寄り事情を話すとこう言った。

「血なんて吐いたってどうということはない。」

これが、例えば私から父に、

「がんなんて患ったところでどうということはない。」

などと発言したらどうなるだろうか。

 

実際、前立腺がんと腎臓がんにかかっている父は、私などよりもはるかに元気で、自転車に乗ったり、自彊術や習字を習ったり、母の代わりにスーパーの買い出しに行ったりと、具合の悪いところを目にしたことがないのだ。

 

手術や抗がん剤治療をしないと、こんなにも元気でいられるものなのか。

 

来月にはいよいよ、まずは父がコロナワクチンを2回接種する。インターネットのよくわからない父に代わり、私がスマホから予約をしてあげた。母の方は、開始5分で締め切りとなったため、また次回ということになる。

 

とまあ、とりとめのないことを綴り、せっかく訪問くださった方にも申し訳ない。

 

最後にせめて次男の近況報告でも少ししておこう。

 

一年生の大学での成績は、85点から90点未満くらい。これはおよそ学内でも上位10〜15%以内らしい。東大でよくある、シケプリ(試験対策のためのプリント)担当になった数学の科目は、本人はすべて予習で理解してしまったために、小テストしか受けていない。授業を聞かずに対策プリントを作成するのも面倒なため、質問があれば何でも聞いてくださいとしたらしい。そして数名からの質問対応で済んだようだ。その科目は定期試験はわりと難しかったようだが、相対評価のために「優上」を取れた。難しいが頑張ったフランス語もすべて優上(一般の大学でいうAA)を取れて終わった。

 

今はサークルの新歓活動でいろいろと忙しいらしく、先日久しぶりにアパートを訪れたときはすごい状態だった。お料理だけはがんばっているようだが、それ以外の荒れた様子をみて、やはりひとり暮らし経験も一年間で十分かと感じた。

 

いつ、以前のように全面対面授業となる日が訪れるのかはまったく予想できないが、本郷キャンパスの方がまだ自宅からは通いやすい。さすがに出費もかさんできたので、今年の夏休み中には完全に帰省してもらい、忘れないうちに車の運転練習に励んでもらおうと思う。

 

今朝は珍しく、誰もいない2階の窓をすべて開けて換気し、庭の草取りも頑張れた。換気は空気の入れ替えのためにするものだと思っていたが、実は家の中に良い気を入れるのに必要らしい。それも、なるべく午前中の方が良いそうだ。そのおかげか、今日は珍しく雨が降る前でも調子悪くはならずに済んだ。

 

前回はせっかく予約した鍼灸院を、めまいがひどくなりキャンセルした。次回行けるのは、緊急事態宣言明けになるか。

 

それまで、悪い気を吸う働きもあると聞いたサボテンを初めて購入しようかと思う。植物にはまったく詳しくないので、どなたかもしおすすめなどがあれば、ぜひ教えてください。よろしくお願いします!