終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

次男の進路内定

東京大学文科二類に入学してから、はや1年と半年が過ぎた。8月末日のこと、第一段階での、進路選択(進振り)の内定が発表された。

 

息子は結局理転することはなく、初志貫徹で経済学部を志望した。そして、第一段階での定員200名中、上位10%以内の順位で、無事に内定が決まった。惜しくも第一段階で希望が通らなかった学生は、第二段階での選考に進む。また、一部の学生は成績が足りず、進振りに参加することさえできないという。どうしても第一志望の学部に進むために、わざと降年(留年とは呼ばないらしい)する学生もいるそうだ。

 

経済学部には、経済学科、経営学科、金融学科がある。具体的にどの学科にするかは秋以降に決まるらしい。ただ、多少必修科目が異なるくらいで、自由に学びたい科目を履修できるため、学科間の垣根は低いようだ。

 

これまでの生活を振り返り、息子は感じていた。やはり、東大の文系の学生の中にはあまり数学が得意とか好きという学生は多くない。同じクラスの生徒の間で、雑談として数学の話題が上がることはほとんどないようだ。それに対して、加入したサークルの方は理系の学生が多いらしく、普通に数学の話で盛り上がることもあるそうだ。

 

夏休み中は2年になり新しく始めた個別指導のアルバイトをがんばっている。中学受験指導などを任されるときは、正直本人がガチな中学受験勉強をしたとは言えないため、困惑することもあるようだ。しかし、与えられた参考書を読み、わかりやすく説明する必要がある。

 

麻雀については、プロも交えて対戦することもあるようだが、1位や2位を取れることもあり、なかなか腕を上げているようだ。ただ、やはり長時間のマスクは息苦しいようで、しばらくはオンラインだけにすると言っている。

 

私自身については、あと約1週間で、2回目のワクチン接種を控えている。前回は娘に付き添いを頼み、次回は次男に付き添いを頼む。ひとりで行けないというのも情けない話だが、接種してから1時間が経つまでの間の、パニック発作に近い状態を想うと、やはり医師のすすめ通り付き添いが必要だと痛感する。

 

いずれ、3回目の接種という話も出る可能性はあるかもしれない。が、さすがに3回はきついだろうなと思う。

 

もしも父に似て、2回目ですらほとんど副反応がないとしても、嫌だなあと思う今日この頃だ。

 

まずはこの夏、次男の進む学部が決定したことは喜ばしい。3年以降、少しでも対面授業が増えることを願ってやまない。

 

 

 

第一回目のコロナワクチンを接種して

つい先日のことだ。

 

私は自宅からほど近いかかりつけの病院で、今の世の中を席巻しているコロナウイルスに抗体をつけるべく、第一回目のファイザーワクチンを受けた。私はおよそ1年以上前からパニック発作を患うようになっていたため、当日はかかりつけ医の勧める通り、娘に付き添いを頼んでいた。世間ではコロナ禍になってからというもの、ほとんどの人がマスクをつけている。だがしかし、パニック発作の引き金となりやすいマスクを、私は簡単につけることができない。一応、外出時に必ず携帯こそしているが、実際に無理につけると、ほぼ必ずと言っていいほど、息苦しくなり、動悸がしたり、血圧が上昇したり、めまいを起こしやすくなるのだ。

 

ワクチン接種後のさまざまな一般的な副反応については、あらかじめ知識を入れておいた。しかし私の場合は、翌日になっても、発熱も倦怠感も腕の痛みも頭痛も、ほぼないに等しい。副反応がひどくないのはありがたい。だがそれでも、3週間後に予定された2回目の接種は気が重い。

 

というのも、接種するために病院に入り、出るまでの間、ふだんはつけないマスクをずっとつけている。周りから見れば当たり前のことでも、今の自分には拷問に近い。

 

私は接種後15分経ち、いわゆるアナフィラキシーショックはないため、一階のロビーに降りた。そして病院を出ようとするその時、かなり気分が悪くそのまま帰宅してよいか不安になった。

 

幸い、その日はいつものかかりつけ医がいる日なので、念のため診てもらおうと考えた。病院内にある血圧計で測定をしてみると、上が215の下が111。脈拍は100を超えていた。

 

あとで調べてわかったことだが、接種後に頻脈や血圧上昇、パニック発作の出現、という事例はあるようだ。

 

結局、緊急でかかりつけ医に診てもらうことはできず、持参してきた抗不安薬を服用し、なんとか次第に落ち着いてきた。

 

順番を待つとかなり遅くなりそうだったため、お薬の処方だけされて、娘の運転で自宅に帰った。

 

家の中に入る頃には、脈拍も73と落ち着き、だいぶ身体も楽になった。

 

結局のところ、未知のワクチンを受けるというストレスと、あまり冷房も効いていない中でマスクをつけっぱなしにしなければならないという縛りによるストレスのために、軽いパニック発作を起こしたような形だ。

 

過去にもパニック発作で救急搬送されたことはあるが、時間で落ち着くため、基本的に病院は何もしてはくれない。

 

次回も同じ病院で接種をするしかないので、事前にいろいろと対策を練ろうと思う。

 

パニック患者がコロナに罹患したら、それこそパニック発作を誘発しかねない。ひとりで自宅療養も怖いし、狭い空間で窓すら開けられないビジネスホテルに缶詰状態も厳しいだろう。

 

やはり、実際に罹患するよりもはるかにましなのだから、少しの有効性にも賭ける思いでワクチンをきちんと2回接種するしかない。

 

今こんなご時世になり、夫がこの世にはもう存在していないことが、ある意味救いのような感覚さえある。

 

あんなにお出かけが好きだったひとが、ステイホームなんて考えられないだろう。

 

そう、まだ蒸し暑さの残る晩夏の夜空を見上げて、ふと天に想いを馳せるのであった。

 

 

 

 

 

一週間後にはひとり暮らし終了

いよいよ、一週間後にはひとり暮らしをしていた次男が我が家に戻ってくる。

 

思えば、息子が高校3年の頃、今のようなコロナ禍はまったく想像もできなかった。息子はよく自分の部屋で受験勉強をしていたが、隣りの部屋にいるお兄ちゃんがオンラインゲームに興じるたび、その笑い声がうるさくてたまらないと愚痴をこぼしていた。私に訴えてくれば、私から長男に注意をする。あまりにひどいときは、次男も直接お兄ちゃんに抗議した。それでも長男がゲームを止めることはなく、仲間と対戦しているのがそんなにも楽しいのか、どうしてもゲーム中笑ってしまうようだった。  

 

次男の高校では半強制的な放課後の講習を終えると、次男のようにまっすぐ帰宅する生徒と、学校に残りさらに自習をする生徒に分かれていた。息子はお腹が空いた状態では勉強に集中できないと言う。また、自宅でもきちんと集中できるタイプだったため、いつも講習後はまっすぐ帰宅した。

 

その頃はよく次男が言っていた。東大に入ったあとも勉強で忙しいのは変わらない。こんなにうるさい中で勉強はできないし、いつまでもお母さんのそばにいると中々自立できないような気がするから、大学に進学したらひとり暮らしをしたい、と。我が家から、駒場キャンパスも本郷キャンパスも決して日帰りできない距離ではない。だが、もし自宅通いになると、恐らく一番遠い方にはなる。それでも当時は、進学後は次男の希望通りにしようと考え、合格発表前からアパート探しを始めた。吉祥寺に良い物件が見つかり、そこに決めようと大家さんとも挨拶を交わしたその日の晩に、仲介の不動産会社から、あの物件は貸せないことになり、代わりに別の物件を紹介すると電話があった。合格発表の前夜のことだ。私は正式な理由や説明がないことに納得が行かず、その不動産会社にひどく嫌悪感を抱いた。どちらにせよ、翌日の合否結果が確定しないうちは、決めようがないのだ。

 

結果、翌日の合否は以前ブログにも記した通り。

 

息子がSNSで一番仲良くしていた友人に、東大専門校舎を紹介され、他を見学もしないままあっさり予備校を決定。日本全国から集まるところらしく、寮も完備されているがその額、なんと一年で180万。息子もあまりに高すぎると感じたようで、がんばって電車通学すると決めた。それを聞くやいなや、長男は残り一年の大学生活を、大学近くのアパートに住むため、あっという間に物件を決めてきた。あとで次男から聞いた話だが、彼が東大に合格したとき、お兄ちゃんからこんな電話があったそうだ。

「おめでとう! お前、ほんとすごいよ、東大に受かるなんて。一年前はごめんな。もしかして俺がうるさくしたせいで、お前が現役のときに落ちちゃったのかと思って。ほんと、悪かったと思ってる。」

「いや、あれは決してお兄ちゃんのせいなんかじゃないから。大丈夫。」

 

我が家は木造の一戸建てだが、やはり鉄筋コンクリートと違い、音は普通に響く。木の家の方が身体に優しいイメージはあるが、まさか受験時にこれほど音でもめるとは予想もしていなかった。

 

そして、一年間異様な満員電車で予備校まで頑張った甲斐もあり、一浪後には晴れて合格。合格発表のあとから急いでアパート探しを始めたのだ。そして、今度は永福町に良い物件を見つける。契約も完了し、あとは引っ越すだけとなった4月当初。東京で緊急事態宣言が発令され、春学期の授業は完全オンラインと決まった。コロナという未知の病にさすがに私も心配になり、息子に話してもう少し状況がよくなってから引っ越しをしよう、ということになった。結局は、実際に住まずに無駄に家賃を払うことになり、秋学期から対面授業が始まると決定してから、新たに物件を探そう、今のところは解約しようとなった。

 

そんな中、社会人となった長男が、自宅から会社に通いたいと言う。そのタイミングがもし、私がひとり暮らしをしている最中なら喜んで彼を迎えただろう。

 

しかし、そのときは次男の初の定期試験の直前だった。昼間は仕事でいない長男も、残業はほぼなく帰宅し、夜の10時頃から再びオンラインゲームで笑い始める。それに再びキレた次男は、こんなんじゃ前と全く変わらない。オンライン授業でも課題やレポート等で夜もたくさん勉強する必要があるから、お兄ちゃんがこのまま自宅にいるなら、僕は秋学期からやっぱりひとり暮らししたい、と。

 

それで仕方なく再びアパート探しに奔走し、前とは違う地域で新たに物件を見つけた。息子の予想通り、秋学期はわずかに対面授業も始まり、サークル活動もOKになった。

 

ちょうど時を同じくして、長男もようやく上司の説得に応じ、会社近くの社宅に引っ越すことに決まった。我が家から通うと朝の6:30には車通勤しないと間に合わないし、何より会社が6割も家賃負担をしてくれる。社員は普通、社宅から通っているのだ。

 

そんなこんなで、昨年の9月末から私は、人生初のひとり暮らしを始めることとなった。それがどんな生活となるかは、予想だにできなかったと言えよう。 

 

一番豹変したのは食生活。私のこれまでの人生の中で、これほどいい加減な食生活を送ったことは一度もない。コンビニ弁当、ガストの宅配、外食、食パンとコーヒーだけの朝食が2日以上続くこと。たまに手作りしても余るので、何日も続けて同じものを食べ、最後は捨てる。野菜不足どころか、タンパク質不足。食欲が減退した時期もあったが、ステイホームを貫いたのもあり、体重はむしろ増加。一方、私よりはるかに頻繁に自炊していた次男は、ひとり暮らしをして何キロも痩せたようだ。

 

さあ、こんないい加減な食生活を送るのもあとわずかだ。今日は久しぶりに炊き込みご飯を炊いた。豚バラ肉、生姜、人参、椎茸を、あきたこまちのお米で炊いたら何と美味しいことか。作り方はとても簡単なこのメニューも、材料は長男や父が買ってきてくれたものだ。今は自宅をプチリフォーム中のため、駐車場にマイカーを置けずに、しばらくスーパーに行けていない。そうでなくても、猛暑の中の車の運転は、パニック持ちの私にはかなり危険だ。

 

思いの他、長文になってしまった。

 

先日、娘夫婦の和装での前撮り撮影も無事に終わり、少し一息つけた。

 

あとは今月末のワクチン接種に向け、体調を整えるのみだ。

東大2年生の息子の現況

久しぶりに、次男について触れようと思う。

 

今はすでに、2年生の春学期のすべての試験を終えて、彼は今、来月に迫った引っ越しの準備と、個別指導のアルバイトをがんばっている。アルバイト先で任意の募集があり、すでにコロナウイルスワクチンも2回接種を完了した。幼い頃誰よりも予防接種を嫌がっていたのを思い出すと、今回自らよく受けたなと思う。

 

東大の場合、入学時には進学する学部は決まらず、ちょうどこの時期、2年生の8月中には、第一段階の審査が下される予定だ。息子は経済学部を希望していて、具体的な学科については、またのちほど決まるようだ。第一段階の定員中、1年生のときに取得した成績で順位が決まる。彼の場合、1年生時に相当頑張ったため、平均点が85点。この点数や順位だけを見ると、昨年ちらっと考えた、文2からの計数も可能な成績であった。しかし、実際には経済学部を志望したため、約250人中、30番台の順位に位置する。これだけを見ると、志望学部に決まるのは問題なさそうだ。

 

だがひとつだけ、聞いてちょっと驚いたことがある。それは、この2年の春学期だ。まず、1年次にかなりの単位を取得したため、履修登録をした単位はかなり少なめだった。よく言われる、猫より暇な文ニートという期間だ。授業はすべてオンライン、かつわずか6コマ。正直、これだけしか授業がないなら、国立大学の学費も妥当な金額か、とさえ感じた。

 

だが、オンラインのせいなのかどうかはわからないが、登録した科目の中にはまったく興味を抱けないものもあったらしい。結局、うまい言い方をすると、「撤退」と呼ぶらしいが、要は途中からつまらない授業は放棄。試験もレポートもやらないということだ。そして、この半年で取得するのはわずか4単位。本人いわく、実は精神的にも落ちていて、いろいろとやる気が出なかった。ごめんね、と。

 

以前何回か春以降に息子のアパートを訪ねたとき、その荒れ方に正直驚いた。食材の買い物はよくしていたが、冷蔵庫の中は賞味期限切れの食材もいっぱい。ゴミ出しもよく忘れていた。洗濯ものなどは、2〜3回分は溜め込んでいる。昨年は洗面所の鏡すらきちんと磨いていたのに、髪の毛が排水溝にごっそり溜まったままだ。料理はしているようだが、洗い物は溜めがちに。寄るときは、多少私の具合が悪くなり寄らせてもらうのだが、あまりの状態に結局私はせっせと家事に勤しんでしまう。

 

はじめはこう思っていた。きっと、勉強で忙しいんだな。なんとか料理はしても、他がおろそかになるのだろうと。しかし、生活の乱れは心の乱れ、とも言うべきか。本来なら、ひとり暮らしをすると友達を呼んだり、友達の家に遊びに行ったりなどできて楽しいはずのところ、コロナ禍のために普通の学生生活は送れない。息子の場合、課題などで忙しいことはあっても、これまで東大のどの授業も、ついていけないほど難しいと感じたことはあまりない。ただ、興味の持てないものでも頑張るというのは、思えば幼い頃からしたことはないのだ。

 

中学高校時代も、つまらない授業で、かつ先生が叱らない場合は、授業中熟睡していたようだ。そして定期試験前には、とてもよくまとめらたノートを女の子の友達に借りて、お礼にしっかりと数学を教えてあげる。そして、常に定期試験では高得点を取るという状況。「天才はいいよなあ。」と男子の友達につぶやかれると内心は頭に来たようだが、そうつぶやきたくなる側の気持ちもわからなくはない。

 

ただ今回も、きちんと試験を受けた科目は、相当面白かったようだ。あとは、後半に、必修科目が2単位だけ残されている。もちろんそれ以外に、専門科目も履修し始めないと、3、4年が相当忙しくなるようだ。

 

ひとり暮らし経験のこの1年は、もちろん無駄ではなかったと思う。だが、この先はまた実家に住んでもらい、あくまで家事は私がメイン。車出しや、体調が悪いときのサポートはお願いするとしても、再び1年生のときのように、本来の勉強の方に身を入れてもらいたいと思う。

 

やはりお互いに、ひとりで住むより家族と暮らす方が、精神的には落ち着いて行けるだろう。

 

かつての自分の大学生活4年間を振り返ると、一日とて無駄に過ごした覚えがないほど、充実していたし、またそれだけ休みなく動く気力と体力があった。そんな青春を送れた自分が、今はほぼ休みっぱなしの生活だ。しかし、最近見た動画にもあったように、人間は、マグロやカツオではないのだから、休みが必要なんだと。毒親育ちのタイプのひとは、休むのが下手だそうなので、できれば病気になる前にうまく休むことが大切だと。私のパニック症状も、最悪だった頃よりは明らかに改善しつつあるものの、つい先日も都内のホテルで、あわや救急車騒ぎになる一歩手前まで行った。まだまだ普通の人よりも、暑さ、熱に弱い。無理にマスクをつけると本当に危険だ。

 

来月末にはようやく、一回目のワクチンを接種予定だ。かかりつけ医のすすめで、次男には付き添いを頼んである。副反応が重くならないことを願うしかない。

 

最後に、ご興味ある方のために、最近よく聴く動画をご紹介します。わかりやすい説明にいつも感心してしまいます。

 

https://youtu.be/POo3M_Qyr5I

 

 

 

約1年間のひとり暮らしを振り返る

あれは、昨年の9月のことだ。

 

次男がこれから初めてのひとり暮らしを始めようとするアパートの部屋で、息子が泣きながら私にこんな話をした。

 

「正直言って、パパが亡くなってからのこの13年近く、僕は幸せじゃなかった。お姉ちゃんとお兄ちゃんが何か問題を起こすたびにお母さんが具合悪くなって。この上、僕まで何か問題を起こしたら、お母さんが本当に死んじゃうんじゃないかと思うと怖くて怖くて。だから、せめて僕だけでもいい子でいなきゃ、って必死だった。なのにお母さんはときどき、僕のことまであの二人と同列に見ようとする。すごくショックだよ。はっきり言って、パパがいなくなったあと、一番お母さんのことを心配して、寄り添って、愚痴でも何でも聞いてきたのは僕だよ。お姉ちゃんは、お母さんが具合悪くなると、決まって犯人探しを始める。そういうときに大事なことは、いかにお母さんの調子を良くできるかってことなのに、お姉ちゃんはすぐ誰のせいでこうなった?と問いただす。自分には責任がないから、関係ないと言いたいんだよね。でも、原因探しよりも、まずは目の前で具合の悪いお母さんに、どう寄り添うかの方が大切だよね。それが全然わかってない。」

 

初めて次男の本音を聞いて、私も涙をこぼしながら、「あなたがいてくれたから、お母さんは今まで生きて来られたんだよ。それぞれにたいへんな時期はあったというだけで、お姉ちゃんやお兄ちゃんと同じだなんて思ってないよ。今まで本当にありがとうね。」と語りかけた。

 

しかし、自宅にひとり帰る途中、タクシーに乗りながら、私は泣いた。涙が溢れてしょうがなかった。

 

息子のつぶやいた「僕は幸せじゃなかった。」という言葉が耳について離れなかった。もちろん、それはお母さんのせいじゃないよ。お母さんは僕のために精一杯やってくれたよ、と付け加えてはくれた。

 

しかし、夫を喪い、ひとり親になってからずっと私が思ってきたこと。もしも立場が逆で、夫がシングルファーザーだったら、子供たちはもっともっと幸せだったはずだという思い。夫が撮ったたくさんの写真の中の幼い子供たちは、いつも本当に楽しそうに笑っている。私のような毒親育ちの人間ががんばったところで限界がある。こんなふうに、自己肯定感が極端に低くなるのも、まさに親の放つ言葉の影響が強い。私の親たちは、私がひとり親になってからことあるごとに孫たちの欠点を並べ立て、何かあると「お前のしつけが悪い」と非難してきた。

 

自分たちは、どちらの両親も長生きし、娘二人も一緒に育てて来たのだから、私の心労などわかるわけもない。

 

来月には次男も戻って来てくれる。それはもちろんうれしい。しかし、私はこの一年で気がついた。子供達がみな巣立って寂しいと思っていたが、そうではない。この世の中で、自分の全人生の中でもっとも大切な夫がいないことが寂しいのだ。子育てや仕事に追われてきたことは、ある意味その寂しさを紛らわせてきたに過ぎなかったのかもしれない。この先の人生、パパがいたらどんなに良かったことだろう。今年の命日で14年目を迎えようとしている今でさえ、そう思ってしまうのだ。

 

しかし、もちろんずっと子供と一緒に暮らせるわけではない。だからこそ、来月からの数年は、一日一日を感謝し、心からありがたいと感じて過ごそうと思う。

 

人生で一番大切なもの。

それは人によってさまざまだろう。

生きがいを感じる仕事かもしれない。

どんな時でも味方になる親かもしれない。

かけがえのない息子や娘かもしれない。

大好きな趣味かもしれない。

 

しかし私にとって、やはり天国の夫を超えるような存在は何もない。私が手術をする際に手術室まで入ってきて安心させてくれる存在など、他に誰がいるだろうか。

 

目には決して見えないけれど、時折感じることだけはできる。

 

自宅の片づけ中に昔のレシートが出てきて、うどん屋さんの人数5、という数字を見るなり、ひとしきり泣いて泣いて泣いた。

 

さあ、来月からはこんなふうに涙をこぼす暇もなくなるぞ。

 

ようやく片づけが終わりつつある和室の畳を眺め、心の中でつぶやいた。

 

 

風薫る文月

コメダ珈琲

 

ここに足を運ぶのはいつ以来であろうか。ふと、恵実子は思った。

 

日曜日の朝だが、店内はほどよい混み具合だ。満席になるほどいっぱいでは、パンの芳しい香りよりも、人が充満する匂いで押しつぶされそうになる。かといって、あまりに閑散としていれば、地元でさまざまな店が閉店する中、ここもひょっとしたら危ないか、と余計な心配をしてしまうかもしれない。

 

さて、季節限定の瀬戸内レモンを使用したシロノワールが来た。いったん、筆を置き味見するとしよう。

 

実は恵実子は、コメダ珈琲の名物であるはずの、シロノワールを少しも美味しいとは思わない。これならむしろ、ココスというファミリーレストランのココッシュの方がはるかに美味しいと思う。ココッシュという名前は、ココスで出すデニッシュの略らしい。もしかしたらココスは、都会にはなく地方にしかないのかもしれないが。

 

それはそうと、今回の限定品。ミニサイズでオーダーしてみたが、瀬戸内レモンの爽やかな香りが漂うアイスクリームと一緒にいただけば、なんとか3/4切れまでは一気に頬張ることができた。

 

この店でイチオシのドリンクは、コメ黒だ。コクのあるブラジル最上級グレードの豆をベースに華やかに香り高いキリマンジャロブレンドしたプレミアムな一杯とある。これは、550円を決して高いと思ってはいけないようなお味だ。最後までミルクもお砂糖も足さずに十分味わえる珈琲はそうそうない。

 

この店にひとりで来ると、不思議と小説めいた文章を綴りたくなる。将来は本当にせめて一冊くらいは、何か私小説のようなものを書いて、父のように自費出版でもしてみようか。なんて夢を見ることもある。

 

つい先日、用事もあり次男がひと晩だけ泊まりで帰省した。息子を駅まで送り、帰宅したあとは、見事なほど何もやる気が起きない。気がついたら、午後の7:30くらいから冷房をつけっぱなしで眠っていた。寒さに気づき目が覚めると、時間は夜の11:30くらいになっていた。慌てて冷房を消し、歯磨きだけはしてパジャマに着替え、あえて睡眠薬を服用してから再度床につく。やはり、ひとりはさみしいな。と、つくづく感じる。来月にはもう、次男も我が家に戻って来るというのに。今から、息子が社会人になり、再び巣立つであろうその瞬間を、恐れているかのようだ。

 

ひとりの時間が若い頃からあれほど好きだったのは、逆に言うとひとりきりになる時間がかなり少なかったからだ。誰かといる時間は、自分自身と向き合えないような気がして、ときにひとりで好きなことに没頭する時間が必要だったように思う。

 

さあ、ひとり暮らしも、あと1か月と少しだ。今しかやれないことを優先的にやって行こう。

 

普通は、風薫る五月、というものだが、今朝の恵実子には、七月に入り新しい風が自分のそばを通り過ぎて行ったような気がして、今回のタイトルをつけた。

 

 

 

明日で今年の前半終了

早いもので、明日で6月も終わりを迎える。つまり、早くも2021年の半分がすでに終わろうとしているのだ。

 

来月、私は誕生日を迎え、とうとう55歳となる。いまだにはっきり閉経を迎えたのかもわからず、白髪も染める必要があるほどはなく見た目は真っ黒、あとわずか5年で還暦を迎えるという自覚もない。夫が生きられなかった50代も、半分が過ぎようとしている。

 

そして、来月の1か月が、私にとっていったんは最後のひとり暮らしとなる。そう、8月の夏休み中には次男がアパートを退去し、地元に帰って来てくれるのだ。息子は進振りで、経済学部を希望し、早ければ結果は8月中にはわかるらしい。具体的な学科はもう少しあとで決まるようだ。文科二類の3/4が経済学部に進学できるのかと思っていたが、実際には4/5が進学できるらしい。つまり、将来経済学部を目指したい人は、やはり文科二類を選択した方がいいだろう。以前、次男は言っていた。その年の出願動向を見て出願先を決めるより、やはり将来どの学部に進みたいかを真剣に考えて出願した方がいいと。合格しやすいかどうかなんて、蓋を開けてみなければ誰にもわからない。直前になり第一志望を変更したら、実際には志望を変えない方が合格していた可能性が高い場合も現実にある。

 

息子が帰って来たら、まず話し相手がいるということが何より嬉しい。満1歳の時点で、かなりの言葉を話せたと私は言われる。まるで、口から先に産まれて来たようだと。はじめの頃は、若い頃の懐かしい友達に電話をしたりして楽しい時間を過ごせたこともあった。だが、あるとき中学生時代の同級生と長電話をして、予期せぬひどい言葉を言われ、電話のあとに恐ろしい回転性めまいを起こした。それ以来、顔が見えずに言葉を交わす電話という手段が、少しだけ怖くなった。やはり、表情を見ながら話すというのは大切なことだ。

 

梅雨に入り、ようやく体調も落ち着きつつある。あとは、急に気温が上がるときに気をつける必要がある。私の地域は夏は40℃近くまで気温が上がるので、恐ろしいのだ。

 

1年間、初めて次男と離れて暮らした。卒業までの2年半、一緒に暮らせるのは本当にありがたい。ただ、その先は恐らく社会人に。勤務地次第では、一緒に暮らすことはもうないのかもしれない。

 

三人の子どもたちを見ていると、私が同年代の頃よりも、ずっと自立していると思う。その頃の自分自身を振り返ると、大勢の大人に守られて暮らすことに慣れてしまい、ひとりで羽ばたきたいと思いもしていなかった。OLになっても毎日母の手作り弁当を持って出勤し、貯金がどんどん増えて行くことに満足しているような日々だった。

 

次男が戻ってきてからの生活は、充実させながらも、いつかはまたひとりになるときのために、何かをやりたいと思う。

 

最後に、今日偶然NHKで初めて聴いて思わず涙をこぼした、ある曲を紹介したい。良かったら、聴いてみてください。

 

https://youtu.be/Ihjr5Xz31sI