終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

私の体調

今、もう少しで12年になろうとする、私のひとり親生活史上、最悪の健康状態といっていいほど、体調がすこぶる悪い。

 

午前中はいいのだ。昨日も、朝6時すぎには目覚ましが鳴る前に自然と起きて、息子のお弁当作りにとりかかる。まず、きゅうりを薄くスライスして塩もみをし、油切りをしたツナと合わせてマヨネーズで味つけ。次にソーセージを炒める。それから、息子はプレーンオムレツが嫌いなので、前日にオフの娘が作ってくれたドライカレーの残りを卵と混ぜて、オムレツにする。なかなか良い味に仕上がる。そこに、最近お気に入りのハインツ(イギリスでよく使われる)のトマトケチャップをかけ、出来上がり。時間ギリギリになったため、車で息子を駅まで送る。

 

次に、早番出勤予定の娘は、頼まれた通り6:30に起こし、やはり駅まで送迎する。ひとり暮らしの頃は、ミスドで朝ごはんが定番になるという、恐ろしい食事を続けていたため、自宅通勤になり、お米をしっかり食べるようになった。おかげでお腹も凹んだという。まあ、もともとスタイル的にはちょうど良いのだが。

 

それから、燃えるゴミを集めてゴミ出しをし、朝ごはんをしっかり食べる。10時になると、息子に頼まれた通り、いつもとは違う予備校に電話をかけ、冬期講習の申込みをする。幸い、まだ希望したものはすべて空きがあり、無事にこれですべての、冬期並びに直前講習のスケジュールが決まる。講習のタイトルには、面白い表現のものもあり、いかにも合格に近づけてくれるような期待感がある。やはり、昨年は、このようなプロの講習を受講していたひとたちには敵わなかったよなと、ふと考えてしまう。

 

ただ、当の本人は、最近志望校について多少の迷いもあったようだ。東大の場合、進学振り分け制度があるため、やはり他の大学で最初から専門に特化した勉強をやれた方がいいのではないか。また、浪人生になっても怠けがちなところは変わらないので、東大に入り、通常の大学よりはるかに多い取得単位数を取るべく、興味のない、あるいはつまらないとされる一部の必修科目をまじめに勉強できるか心配だ。しかし、京都大学となると、これまた遠方になるし、こればかりは入学してみないと、具体的にどんな授業かはわからない。結局のところ、志望校はあくまで昨年と同じで良いのではないか。以上のことは、別に親子で話し合ったわけではなく、親しい友人たちと相談していたようだ。

 

今回、私は、自分の治療と合わせて、ある先生に次のことまでお願いした。それは、通っている予備校の磁場調整と、本人への遠隔ヒーリングだ。予備校というところはもともと、悩める多くのひとが集まる場所なので、あまり磁場がいいとは言えないらしい。現在、校内2位くらいの位置にいる彼は、そんなことをしてみんなの成績が上がっても困るから、やらなくていいよと笑っていた。しかし、調整をしたとしても、影響を受けるのは本人だけだという。これまでの模試結果を見ると、ひょっとして科類内首位合格も夢ではないところまで来ていても、やはり昨年のことがあるから、決して安心はできない。それはきっと、いまだに猛勉強モードには入っていないからだろう。だが、数回の集中ヒーリングが終わろうとする頃に、彼は言った。

「今までだらけていたけど、急にやる気になった。これからは本気を出して頑張るよ!」

それを聞いて思わず、ニヤリとした私の顔を見て、何?と聞く息子。そこで初めて遠隔ヒーリングの話をした。

「え。僕にまでやったの? まあ、お母さんが信じているなら、別にいいよ。僕は、お母さんのパニック障害を治すのに、治療法がどうとか、先生の腕前がどうとかではなく、いかにお母さんがその先生を信頼できるかにかかっていると思うから。」

 

実際、昨日は午後から気温が24℃を超えてきたあたりから、私の状態は悪化し、脈拍は85(ふだんは59くらい)、頭の中がザワザワしてまったく落ち着けない。やっとの思いで、息子にラインし、悪いけど夕飯は作れそうにないと連絡。それを見て、授業が終わり次第電車に乗り、駅ビルで豚バラ肉ともやしを買い、帰宅してくれた。それから、洗うことすらできずにいたガス釜やフライパンを洗い、お米を炊き、美味しい炒めものを作ってくれた。

 

今、受験生にこんなに負担をかけている母親も、そうそういないだろう。

 

薬も効かない。遠隔ヒーリングもわずかにしか効かない。やはり、実際に気功治療を受けたいが、東京までの電車の移動が以前にまして厳しい。いっそのこと、マンスリーマンションでもひとりで借りるか。家の中にいるだけでも発作が起きて、なかなかすぐには治まらないのだから、もはやかなり重症だ。なるべくひとりではいないように、とパニック障害のパンフレットにも書いてあるが、本来はひとりが好き、人混みも好きな自分が、180度変わったかのようになるのは本当に辛い。

 

アメリカの研究報告では、両親ともに、支配的批判的指示的タイプの親のもとに育てられたひとは、そうでないひとよりも、はるかに発症率が高いと言う。残念ながら、私の場合、それはすべて当てはまる。そしてそれは、いまだに続いているのだ。

 

ただ、違うタイプの親になろうとするあまり、子供に気を遣いすぎるのも良くない。気功の先生は言ってくれた。

「私は、歳の上のものが、下のものに、そこまで遠慮して何も言わないというのはおかしいと思うんですよ。もっとお子さんたちに、言いたいことをお母さんは言っていいんですよ。あなたは、溜め込みすぎるから、結果、発作となって爆発してしまうんです。発作がひどくなると呼吸不全にもなるから、とにかく何でも吐き出して。」

 

小さい頃から、我慢しろ、口答えするな、わずかでも反抗すればわがままだ、などと言われ続けてきた人間が、急に自分を解放するのは難しい。しかし、ここまで深刻な状態に陥ってしまった今、治療と並行して、自分を変えていかないと、心が望むままに生きていかないと、結局はなかなか完治せず、周りにも心配や迷惑をかけてしまうと思う。

 

こんなとき、主人がいたらとは、思わない。もはや、思い出す余裕もなくなった。