終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

毒を吐く

これから書くことは、今現在の自分自身の心の叫びだ。タイトルにある通り、決して美しい想いを叫ぶわけではない。お目汚しにしかならない記事は、後日落ち着いたら削除するかもしれない。

 

来月の命日で、ひとり親になり、ちょうど12年を迎える。そう、干支が一回りもしてしまうのだ。

 

当時、12歳だった娘は今、社会人2年目に。10歳だった長男は、大学4年生になり、来年からいよいよ社会人だ。そして、わずか弱冠6歳だった次男は、昨年度東大一本で受験に臨み、およそ13点差で不合格。合格者最低点は、例年より10点近くも跳ね上がった。来年は、第一志望をはじめ、複数の大学に出願予定だ。

 

そして、当の私は、当時は社長令嬢兼専務夫人、そこからいきなり次期社長という立場に置かれ、なおかつ家庭教師のダブルワークもこなしていた。それまで半分以上に及ぶ家事全般や子育て全般を、一度も頼んだことはないのに、自ら率先してこなしてくれていた最強のパートナーである夫を、わずか2週間という闘病で突然亡くしたのだ。

 

小学生時代はまだ、毎朝のお弁当がないだけ、ましだった。ただし、習い事については、送迎に追われる毎日だった。娘はバイオリン、息子たちはピアノ、3人とも、スイミングやそろばんには通っていた。そろばんでは大会がよく行われたし、音楽系は発表会がある。ある年など、発表会直前まで、舞台用の洋服を準備することさえ忘れていたこともあった。毎日、会社の仕事と子育てに関わるあれこれで、急に身体が疲れやすくなっていった。

 

そのうち、娘や長男の部活のお弁当作りや役員の仕事、次男の野球少年団が始まり、土日祝も朝から晩まで慌ただしく、実質おやすみの日がなくなっていった。

 

その頃から、不眠症がかなり悪化し、日中疲れているはずなのに、よく眠れない日が増えて行った。

 

そして、娘の高校受験のサポートが始まり、これまで合わせて7回の進学サポートをワンオペでこなしてきた。来年こそ、8回目、最後の受験サポートだ。

 

娘の高校のお弁当が始まった頃から、次第に春先のめまいがひどくなった。そして、たまたまめまいの出なかった春、新しい仕事に就いた矢先に、粉砕骨折だ。

 

1年3か月に及ぶ、長い長い骨折治療がようやく終了したあとのこと。また、違う仕事を見つける間もなく、パニック障害にかかってしまった。そしてそれは、明らかに娘の帰省がきっかけとなり、悪化している。

 

もう、疲れた。

 

この続きを書く日は、来るのだろうか。