終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

次男が数年ぶりに見たパパの夢

先日の朝、ふと次男がつぶやいた。

 

「ゆうべ、パパが夢に出てきたよ。」

 

「えっ? パパが? 夢を見たのはずいぶん久しぶりじゃない? お母さんもパパの夢はしばらく見てないよ。どんな夢だったの?」

「内容は覚えてない。でも、声でパパだとわかった。」

「そっか。お父さんも、あなたのことを心配して応援に来てくれたのかもね。」

 

次男は、小学校一年生の冬に、父親を亡くした。亡くなって数年が経った頃には、もうパパの記憶ははっきりとはしていないと言っていた。私が驚いて聞き返すと、彼は冷静に答えた。

「人間誰しも、6歳までの記憶ってそうはないものでしょ。」

 

うーむ、確かにそうかもしれない。とても印象的なことは覚えているけれど、日常の細かいことまで鮮明に記憶するのは無理だろう。

 

もうちょっと早く、夫と出会っていれば。もうちょっと早く、3人の子を産んでいれば、夫の寿命が変わらないとしても、みんなもう少し大きい年齢まで大好きな父親と一緒にいられたのになと、死別間もない頃はよく思った。

 

私が今でもよく覚えていることがある。それは、娘の大学受験のときのことだ。

その頃の私は、半分いじけるように、二人で受験をサポートするのと、ひとりでは、負担感が全然違う。自分はなんて孤独なんだ、とよく思っていた。心の支えになってくれたのは、YouTubeで何度も聴いた早稲田の校歌。この歌を入学式で聴くんだと、受験生本人でもないのに自らを励ました。その歌を一度だけ目の前で聴いたのは、私が大学のESSで、早稲田の学生とエールを交わしあい、互いの校歌を披露し合ったときだ。なんて素敵な歌だろうと感じた覚えがある。

 

そんなある日、日中目が覚めているときに、ふと夫の気配がした。そして、うなだれるようにふわーっと畳に身体を横たえ、こう言った。

「なんとか、ギリギリ大丈夫だった。もう、一時はどうなることかと、本当に焦ったよ〜。」

夫がそんな、何かに焦るようなことはめったにない。いつも、冷静沈着。自分が血液の病気と診断されても、さっとネットで冷静に情報を集め、親友にも「しばらく入院する。」とパソコンでメールを打つようなひとなのだ。

 

え? なに、もう受験の結果がわかっの? 合格発表はまだなんだけど。というか、娘がどこを受験するか、パパは知っていたの?

 

そのとき、私は直感した。それまで、自分はずっと一人ぼっちで我が子を支えているような気がしていた。しかし、それは違う。夫も、空の上から私たちに何が起こっているかをちゃんと見ていて、私と一緒になって心配したり、ハラハラしたり、同じ気持ちを共有しているのだ。

 

娘の高校の合格発表の掲示板の前にも、ちゃんと姿を見せてくれたではないか。

 

ああいう瞬間を何と表現したらいいのだろう。妻である私にしか、見えたり聞こえたりはしないのだ。

 

今回も、昨年の3月10日以来、どれほど息子が悩み苦しみ、調子の悪い母親を支えてきてくれたか、夫はちゃんと見ていたはずだ。

 

いつだったか、調子の悪い私の代わりに息子がごはんを作ってくれたとき、「こうやって、徳を積むのも大事かなと思ってね。」とクスッと笑っていたっけ。

 

この一年、次男がずっと私のそばにいてくれたことは、正直本当に助かった。パニック障害は、ひとりでなるべくいないようにと言われるが、簡単に入院もできないし、実家に身を寄せれば、むしろ症状の悪化に繋がりかねない。わずかなストレスでも、大きな発作へと発展してしまうからだ。

 

今はもう、最後にいつ大きな発作が起きたかも思い出せないほど、症状が落ち着いてきた。あれは本当に辛い発作だったので、二度と繰り返したくはない。

 

パパ、たまには私の夢にも出てきてほしいけれど、とりあえず今のところは、次男のケアを最優先にお願い! 

 

どうかどうか、本番だけは万全の態勢で臨めますように!!

 

よろしくお願いします!