終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

不幸中の幸いとはいえ、弱音も吐きたい

先日、術後1か月健診に病院に行ってきた。以前よりは視界も良好となったため、周りの景色も見えた。そこで初めて他の患者さんのご様子を見て驚いた。

 

例えば、まだ私より若そうに見える女性の方が杖をつきながら歩いている。しかし、それは私の母が歳をとってから杖を使い歩くのとは全然違う。今にも倒れそうで車椅子の方がいいんじゃないかと思うほどだ。また、車椅子の患者さんもいたが椅子からは自分で立ち上がるのは難しそうだ。そして、別室で話をしている患者さんの声を聞いて驚いた。それまではろれつが回らない話し方というのを直に聞いたことがなく、どんな話し方か、ピンとは来なかった。それが、正直、何を話しているのかまったくわからないのだ。一歩違えば、自分もそうなってもおかしくはなかった。改めて、この病気の恐ろしさを感じずにはいられなかった。

 

MRIの結果も特に問題なし。どうも私は、すでに初期段階で脳梗塞も発症していたようで、画像を見せながら、これは起こした経験の証拠として一生画像には残るけど、今起こしているという意味ではないから、安心してくださいね、と先生に言われる。

 

脳梗塞さえ起こし、はじめの数日は左足などに麻痺もあったものの、発症してわずか1週間以内に、ほとんどの血がきれいに洗い流されてしまったこと。そのおかげで麻痺もすぐになくなったし、脳血管攣縮という次なる非常事態も防ぐことができた。また、ほとんど頭痛もなかったのも、圧がかかることがなかったからだろう。

 

本当にありがたいことだし、執刀医はじめ、あらゆるひとに感謝しなければならない。

 

その一方で、こうも思う。私の人生って。尊敬できる主人に巡り会えたのは一番の奇跡だけれど、結婚生活わずか13年と少しで、突然ひとり親になり、必死にまだ小学生の子供たちを育ててきた。娘の高校受験や大学受験で神経をすり減らし、長男が実質高校中退になるのを、まるで学歴ロンダリングするかのように、我が母校でもある大学に進学させ、次男はゆる〜い中学受験をして、不眠の中早朝からお弁当を用意し、予想を大きく外れて浪人。浪人生のサポートは想像以上にきつく、腫れ物に触るような雰囲気だった。応援した甲斐もあり日本一の大学に合格するも、コロナ禍でほとんどオンライン。それでも、自分を含め家族みんなが健康でありさえすれば良かった。娘の結婚式も来春に控え、今頃はレンタルする留め袖を選びに行く予定のはずだった。

 

ああ、何故、この時期にこんな大病に。

 

そろそろ眠る時間だ。

 

皆さま、おやすみなさい。