終わりよければすべてよし

ひとり親卒業日記

人はどこまで進めば満足できるんだろう

思うに人という生きものは、果たしてどこまで進めば、もう十分だと心から満足できるものなんだろう。

 

私が大学受験生のとき。父が言った。「とにかく浪人は絶対にだめだからな。必ず現役で合格したところに進学するんだぞ。」

浪人すれば、予備校などに通い、最低でもざっと100万円はかかる。その頃の私はこう考えていた。確かに、浪人をしたからと言って必ずしも難関大学に受かる保証はない。しかし、現役でも合格できるようなところに一浪して入るのは絶対に嫌だ。そもそも自分が大学に入る目的は何なのか? まずは何と言っても、大好きな英語を駆使できるような力を身につけたい。高校生の頃から英語圏の大学に長期留学するのが夢だった。単なる語学留学ではなく、あくまで現地の大学に交換留学生として通学することだ。その夢を叶えるためには、あらゆる努力をしてみよう、と意気揚々と受験勉強に励んでいた。若かったからなのか。当時の自分は、本当に怖いもの知らずで、はるかにポジティブ思考の人間だった。

 

実際、第一希望ではないものの、合格できた大学に進み、30名の留学希望者の中から選ばれた7名に入り、その中でも唯一の奨学生にも選出された。

 

帰国後は、英語を生かす仕事に就きたいと望み、半導体関連のメーカーに決める。配属先によってはまったく英語は使わないが、運良く海外営業部に配属され、初日から英語で電話を受け、マニュアルの翻訳を任されたりした。

 

まずは3年、バリバリと働きたい。その間はたとえ交際相手がいても結婚なんてすぐには考えられなかった。当時はほとんどの女性が寿退社をし、結婚してもなお正社員を続けるのが当たり前という時代ではなかった。

 

たとえ一度結婚に失敗しようが、次こそは絶対に幸せな結婚をする。しかも、相手よりも先に。

 

当時の私は、いかなる危機的状況におかれようと、前向きだった。

 

願望通り、5年近く勤めた会社を退職した翌月にはお見合いをし、亡き主人と出会っている。そこから、主人が息を引き取るまでの14年以上の歳月、自分ほど幸せだった妻はいなかったのではなかろうか? などとさえ思えるほど幸せだった。

 

今回、くも膜下出血の手術をして、私の意識が戻るのを待つ間、娘は思ったそうだ。果たして、お母さんにとっては、ここで意識が戻るのと、お父さんのそばに旅立つのと、いったいどちらが幸せなんだろうと。

 

それを聞いて私は答えた。

「お母さん、事あるごとに後追い願望に苛まれてきたけど、今回思ったよ。いつかは必ずお父さんに会いたいけれど、今は少なくとも3人の子どもたちみんなともっともっと一緒にいたい。しばらく先まで生きていたい。」と。

 

それを聞いた娘も、私がそう思ってくれて嬉しいと。

 

人間は、何を手にすれば幸せなんだろう。どんな境遇でも負けない強靭な精神力か。はたまた、自分のたいへんなときに寄り添おうとしてくれる家族や仲間の存在か。自分では何もした覚えがないうちに勝手に身体から余計なものを吹き飛ばして身体を正常に戻そうとする自然治癒力か。

 

今、次男がフライパンでも作れる唐揚げを準備している。

 

おそらく私は幸せなんだろう。

たとえ、身体や脳はまだまだ回復途上にあるとしても、ときどき悩まされるさまざまな不調が起こるとしても。

 

「足るを知る」

昔、死別の掲示板が存在した頃、書いた言葉だ。

 

お父さん、入院中に一度だけ、こんな厳しい状態に陥っても私って助かるんだね。まだまだすぐには会えないんだね。そうふと思い、泣いたっけね。

 

Man is mortal.

 

どんなひともいつかは天に召されるのだ。焦る必要などどこにもない。

 

いや、今回のように、いつなんどき突然、ということが起きるかわからないのだ。

 

ただただ、淡々と一日一日を過ごして行こう。